ロシア正教はロシア人の魂

キリスト教で読み解くヨーロッパ史(5)
宗教研究家 橋本雄

ソボールノスチ
 ロシア正教の教会に入っての第一印象は「暗さ」ではないだろうか。窓が少なく暗い聖堂の中で、正面の祭壇に五段に分けて描かれたイコン(聖画)が人々を圧倒する。祭壇の奥には、誰もが入れるわけではない至聖所がある。息苦しいほどの雰囲気の中で、暗がりに揺れる無数の小さなロウソクの火とひたすら祈る老婆の姿は、なんと表現したらいいのであろうか!
 そして正教の教会には、西欧の教会に見られるベンチ椅子がないことに気がつく。教会儀式に参加した人々はひたすら立ち続けているのである。
 宗教儀式は重々しい司祭のバリトンの声と、聖歌隊の合唱が奏でる独特な雰囲気の中で進んでいく。特に司祭の説教があるわけではなく、人々は神の「言葉」よりも神の「恩恵」を求めているようだ!
 これらの教会儀式の「場」である聖堂(ソボール)は母の胎内と理解され、儀式では神とキリスト、聖霊との一体感、そして新生の恩恵の体験が最も重要である。さらに信徒同士の一体感で、これらを「ソボールノスチ」(精神的一体感)という。そして一人ひとりが司祭に告白し、イコンに接吻をして「許しと慰安」を受ける。「ロシアの悲しみは神以外は癒やせない」と言われる歴史に生きるロシア人が、信仰に求めているものは「許し、安息、そして祝福」だ。

モスクワは第三のローマ
 ロシアは長くモンゴルなど中央アジアの他民族の支配下にあった、「タタールの軛(くびき)」と言われる270年間(13世紀から16世紀)、西欧との交流が途絶える状態にあった。従ってルネサンス(14世紀から17世紀頃)や産業革命などに乗り遅れてしまった。「ロシアは遅れている」と言われる所以である。
 そのロシアで「モスクワは第三のローマで、多民族の救済の使命がある」という考えが、1510年に修道僧フィロフェィによって唱導された。エルサレムもコンスタンチノープルも異教徒により破壊され、人類救済と天国実現の使命はロシアにもたらされた、とする考えである。実際、コンスタンチノープルが滅んだ時に多くのビザンチン文化がロシアにもたらされた。「モスクワ=第三のローマ論」はロシア人の心の中に深く染み込んでいる。
 ロシアの歴史を学ぶと、何度も侵略されたことに気がつく。東からはモンゴル、南からはトルコやイスラム勢力、西からはリトアニアやフランス、ドイツなど、北からはスウェーデンが侵入してきた。その度に人々は逃げまどい、犠牲となってきた。
 王朝ができても、強権独裁や帝政の圧政が続き、人々は苦しんだ。そして恐ろしいほどの寒さに襲われる長い冬……豊かではあるが過酷な大自然の脅威がいつもそこにあった。このやりきれない苦難や悲しみが、ロシア人の心情と文化の根底に流れている。
 「なぜ神はロシアにこんなに苦しみをくださるのか」という深い自問と嘆きが、ロシア人の根底にある。自分の力ではどうしようもない現実に対して、半ば諦めの「受け身の魂」がある。
 過酷な現実に耐えて生きてきたロシア人は、神とキリストの中に「限りない従順と自己否定:ケノーシス」を見つけた。新約聖書ピリピ人への手紙2章7節にある一節がそれで、神は自己を否定し、受肉してキリストとなられ、そのキリストも自己否定の道、へり下りの道、十字架の道を行かれたのである。
 やがてケノーシスは、隷従や服従によって救われるという考えとなった。神やキリストに、ロシア人は自分自身と民族の置かれた屈従と苦難の歴史を重ねたのである。暴虐な支配者や共産主義指導者らの強権に対する際限のない屈従と自己否定も、ある意味でロシアの姿なのである。
 このケノーシスの精神で、多大な犠牲を払った大祖国戦争(第二次大戦をこう呼ぶ)を戦い抜き、ナチズムを滅ぼしたのは自分達であるという自負心もロシア人にはある。ベルリン包囲戦でヒトラーを自殺に追い込んだのはソ連軍であった。この精神は、日本の滅私奉公の精神に通じるものがある。
 このようなロシアの精神風土が生んだ名画が、モスクワのトレチャコフ美術館にある巨匠イワン・クラムスコイの「荒野のキリスト」である。
 40日断食が終わった翌朝であろうか、遠くの山に日の出の明かりが指している。砂漠の夜は寒い。毛布を纏ったキリストが素足で手を組み、岩の上に座っている。強く結んだ指からは、これからの苦難への覚悟が感じられる。絶望的な眼差しからは救い難い苦難が見える。そこには明るさも楽しさも、暖かさも安らぎも、家族も友人もない、完全な孤独を感じさせるものがある。ロシア苦難の歴史が生み出した傑作である。

世界救済の使命
 1917年のロシア革命は、レーニンを指導者とするマルキストのクーデターであった。従って、ボルシェビキ政権はロシアを「解放」したのではなく「支配」したのである。その統治は過去の強権体制と同じであり、ボルシェビキ政権は多く人々を殺害し恐怖政治を行った。ロシアの民衆の苦難は一層激しいものとなった。
 一方で、「マルクス主義という最先端の科学的理念」を実現したという高揚感も、一部の共産主義者は持っていた。歴史上初めて共産主義社会を実現したロシアは、世界の最先端になったという幻想を抱いたのである。そこに「モスクワ=第三のローマ論」という情念が結びついたという。世界を救済する使命は世界を赤化する野望へと変わった。それがまるでロシアの歴史的使命であるかのように!
 しかし、そのような高揚感も長くは続かなかった。スターリンの圧政と粛清、ロシア正教への徹底的な攻撃、破壊と殺戮。その後の軍事強国への邁進、経済の破綻、文化的停滞、外交上の失政など、多くの試練がソビエトを襲い人々を苦しめた。
 そして1991年の冷戦終結により、ロシアは再びどん底に落とされてしまった。縮小する領土、瓦解する国家の中で、人々は自信を失い、経済的苦悶に喘いだ90年代であった。ソビエトが最も進んだ体制・文化と信じてきたものが全て崩れてしまったのである。

復活するロシア正教
 新しいロシアは今、国民のアイデンティティをロシア正教に求めている。国民の精神的支柱として、ロシア正教の役割は大きくなっている。西洋では人々の信仰心が希薄になっているが、ロシア正教は積極的に社会奉仕や貧しい人々の救済活動などの社会活動に注力しているのである。
 しかし激しく変化する現代世界の中でロシア正教は、真に民衆の心を捉え、過去と現在の歴史の悲しみを癒やして自信を取り戻し、人々を再び立ち上がらせることができるであろうか。
(2019年2月10日付748号)