共同体の中で生まれ死ぬ日本人

2018年3月20日 733号

 三月十一日、七年前に起きた東日本大震災の犠牲者に向け、今年も各地で追悼の祈りがささげられた。その先頭に立たれたのが、天皇皇后両陛下である。行事に参列しなくても、心の中であの日のことを思い、祈った人も多い。
 死は昔も今も個人の問題だが、それを日本人は共同体の中での死とする文化を培ってきた。私の死であると同時に日本人としての死を死んできたのが日本人で、個が失われるような絶望感や虚無感に陥ることから人々を守ってきたのもその思想である。
 自然が多くの恵みとともに耐え難い災いをもたらすことも、体験を通した信仰として心に刻んできた。そうした自然信仰の集大成が神道であろう。その上に個人の宗教である仏教が渡来し、日本人の死生観を深めたのである。

神仏習合と日本人
 東北大学名誉教授で西洋美術史の泰斗である田中英道氏は、美的感覚を中心に日本史を見直し、大著『国民の芸術』(扶桑社)を著している。近著の『日本の歴史 本当は何がすごいのか』(扶桑社文庫)は読みやすい日本通史で、日本人の信仰について次のように述べている。
 「自然のあらゆるものに神が宿るという自然信仰、死者は神になるという御霊信仰、中でもその御霊の最高の存在である皇祖霊信仰、この三つが前方後円墳に込められた古代日本人の精神性だったのです。そして、この三つの特色を持った信仰は神道そのものでもあります」
 「神道は……主に士族とか同族とかの共同体を中心にした共同信仰です。……聖徳太子は仏教を個人のレベルでとらえたのです。共同体の死者の御霊が神になるように、個人、一人ひとりも死ぬと仏になると考えて信仰したのです。神道が共同宗教なら、仏教は個人宗教といえるでしょう。そして、どちらも神と仏と言葉は違っても、御霊が神になる、御霊が仏になるというのは、ほとんど同じ考えです。だから、日本人は神道も仏教も同じ感覚で受け入れ、信仰することができました。これが神仏習合です」
 伝統的な地域で暮らし、氏子として神社の行事にかかわり、檀家として法事に僧侶を招いたりしていると、同じようなことを感じる。両者が補完し合って、地域社会と家庭、個人を守っているのである。神仏習合が日本人の精神性をどれほど豊かにし、社会の安定、発展を支えてきたか、先の見えないグローバル化時代に、もう一度見直すべきだろう。
 明治維新の主役の一人、西郷隆盛の生き方にもそれが表れている。西郷が多くの日本人から慕われるのは、彼がなしたことよりも、その生き方に惹かれるからである。
 アウシュビッツ強制収容所での体験をもとに『夜と霧』を書いた精神科医のヴィクトール・フランクルは、人間の価値として創造価値と体験価値、態度価値の三つを提示している。創造価値とは、行動や創作により実現される価値で、体験価値とは、体験により実現される価値で、芸術鑑賞や旅行、恋愛などでこの価値は実現される。
 しかしこの二つは、全ての自由が束縛された状況下では、成り立ちようがない。それに対して態度価値とは、人間が状況を受容する態度によって実現される価値で、病や貧困、圧倒的な苦痛に置かれても、自由になる価値である。例えば、少ない食料を人に分ける、せめて笑顔で、ありがとうと感謝の意を示すなど。そうした価値に生きようとした人の多くは、絶望に陥ることなく極限状況を生き延びることができたという。

後世への最大遺物とは
 内村鑑三は明治二十七年七月、箱根であったキリスト教徒第六夏期学校での講演「後世への最大遺物」で、金儲けや事業、教育、文学などの大切さをるる語った後、次のように結んでいる。「われわれに後世に遺すものは何もなくとも……、アノ人はこの世の中に生きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います」
 そのように生きれば、運命により何事かなし得ようという激励であろう。大切なのは何をなすかより、どう生きるかだと。そんな内村だから、『代表的日本人』の最初に西郷を取り上げたのである。