人に、自分に寄りそう

2021年11月10日付 781号

 上皇后陛下の御歌を収めた『祈り』(濱田美枝子・岩田真治著、藤原書店)からいくつか紹介したい。
 「ことなべて御身ひとつに負い給ひうらら陽(び)のなか何思すらむ」(平成10年)。
 平成7年には阪神淡路大震災に続きオウム真理教事件が起こり、この国はどうなるのか国民は動揺させられた。象徴として、国民の思いを背負われようとされる陛下はいかばかりかと、思いを寄せられたのであろう。御歌を読みながら、上皇后の人を思う気持ちの強さ、深さに改めて心打たれた。

平成の御歌
 振り返ると、平成は災害に襲われ続けた御代だった。平成の大噴火と呼ばれる平成2年から8年までの雲仙普賢岳の噴火で、天皇皇后両陛下は被災者を慰問し、畳に膝をついて声をかけ、話を聞かれた。国民に寄りそう皇室のスタイル、そして「祈りの旅」の始まりであった。とても自然で、映像を拝見した私たちも、驚きながら素直に納得していた。
 「雪原にはた氷上にきはまりし青年の力愛しかりけり」は平成10年の冬季長野五輪での体験を読まれた御歌。エムウェーブでのアイススレッジスピードレースの競技終了後、観客席で起こったウェーブに、貴賓席の皇后も両手を挙げて参加された。まさに民と一つになったシーンが懐かしい。
 「笑み交はしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ」は阪神淡路大震災の被災地を訪ねられた平成18年の御歌。両陛下はいつも訪問のタイミングに心砕かれたという。同震災の時は発生から2週間後が初めての訪問で、早朝に御所の庭で摘んだスイセンを携えておられた。神戸市長田区の市場の一角に手向けられたスイセンは、その後、復興のシンボルになっていく。
 皇后から「大変でしたね」と声をかけられた被災者の多くが、「自分は大変だと思っていいんだ」と感じたという。被災地の人たちは、自分だけがしんどい思いをしているわけではない、もっとひどい目に遭った人もいると考え、自分の気持ちを抑えがちになる。皇后はそれを察し、その心に寄りそわれ、開かれようとされたのだろう。ご自身、相談相手として親しく付き合った、精神科医の神谷恵美子から習われたのかもしれない。
 「帰り来るを立ちて待てるに季のなく岸とふ文字を歳時記に見ず」は東日本大震災の翌年に読まれた御歌で、「岸辺で大切な人を待ち続ける人に、季節の移ろいはない」という意味。
 待つ人には北朝鮮拉致被害者の家族もいて、蓮池薫さんはこの御歌に特別な感慨を抱くという。娘のめぐみさんを待ち続ける横田早紀江さんは、「彼岸花咲ける間(あはひ)の道を行き極まれば母に会ふらし」(平成8年)に励まされ、心の支えにしている。
 「ためらひつつさあれども行く傍らに立たむと君のひたに思(おぼ)せば」は熊本大地震の被災地を訪れ詠まれた御歌。果たして自分などが見舞うことが出来るのかという率直な思い、それでも「人々の傍らに」と赴かれる陛下の、ひたむきな思いに寄りそう皇后だった。
 陛下が心臓の手術をされた直後、東日本大震災一周年の追悼式に出席された時、動きやすいようにと和服に草履で臨まれた皇后は、海上に男が乱入し発煙筒を投げてきたハプニングに、陛下をかばい、さっと右手を差し出された。「陛下は自分の命を懸けても守らないといけない」との覚悟をお持ちだという。平成22年には「君とゆく道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし」と詠まれた。

自分を見ている自分
 人は人に寄りそうことで自分を超えた家族や共同体を形成し、社会を発展させてきた。人に寄りそう気持ち、力が弱まると、社会も弱まってしまう。コロナ禍の暮らしで、それを痛感した。
 振り返ると、自分を見ているもう一人の自分がいる。人に寄りそうとは、自分に寄りそうことでもないか。
 自分を超えた存在が自分に寄りそってくれている。そんな自覚があれば、孤独に陥ることはない。