伊弉諾神宮で御田植祭/淡路市

早乙女と児童が神田に早苗を

苗を植える早乙女と児童たち

 梅雨の晴れ間となった6月20日、兵庫県淡路市多賀にある伊弉諾(いざなぎ)神宮(本名孝至宮司)で、五穀豊穣を祈る恒例の「御田植祭」が斎行された。早乙女と児童らによって植えられた稲は氏子によって育てられ、10月の「抜穂(ぬいぼ)祭」で収穫され、稲束を伊勢神宮の神嘗祭に奉納するほか、伊弉諾神宮の祭儀で神前にお供えされる。
 神前に供える米を育てる「御斎田」(約240平方メートル)で田植えを行ったのは、白装束に赤いたすき、笠をかぶった早乙女姿の県立淡路高校(旧淡路農業高校、同市富島)の女子生徒や同宮いざなぎ會の女性ら20人と地元の保育園児ら7人。氏子や保護者らが見守る中、本名宮司が打つ太鼓の音に合わせ、早苗を数本ずつ手に取り、丁寧に植え付けた。
 同日は午前9時から神事が執り行われ、巫女2人により淡路神楽が舞われた後、拝殿前のしめ縄が張られた境内で、早乙女たちが苗を手に、「わかなへ うえほよ…」と神職らが歌う「古謡御田植唱」に合わせて、「御田植踊」を奉納した。
 その後、神職と氏子がかごで担ぐ早苗を先頭に、列を組んで神宮近くの御斎田に移動。代かきされた御斎田で、最初に本名宮司が苗を植え、続いて早乙女が横一列に並び、張られた縄の目印を目安に、宮司の打つ太鼓の音に合わせて「イセヒカリ」の苗を植えた。
 イセヒカリは三重県の伊勢神宮の神田で発見された、自然交配によるコシヒカリの突然変異種で、神聖な稲として神事などで使われている。コシヒカリより丈が低く、風雨に強い。苗は本名宮司が神事としてもみをまき、苗代で大切に育てられてきたもの。
 御斎田のほぼ半分まで植えたところで法被姿の児童が田んぼに入り、早乙女に助けられながら、苗を植えていった。泥の田んぼに入るのにためらう児童もいたが、やはり女児のほうが積極的、見守る保護者らは昔の田植えの思い出など懐かしそうに話し合っていた。
 新型コロナウイルス感染症のため多くの祭りが中止や縮小になる中、例年通りの斎行とした本名宮司は「ごく当たり前のことだ。その時々の判断だが、今のような事態だから自粛しようという考えは全くない。神様のことはより丁重にしっかり行うのが大原則で、今こそ世の中が平安になるよう祈りの心で務めたい。それが神道で宮中祭祀の原点でもあり、極論を言うと自己救済はなく、互いに祈り合うのが日本人だ。早乙女が集まるか心配したが、20人以上の応募があり、お断りした人もいた」と語った。
 『日本書紀』『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の幽宮(かくりのみや)に鎮まったとあり、それが同宮の起源とされる。淡路の枕詞は「御食(みけ)向かふ」で、古くから海と山の産物に恵まれ、宮中に食物を献上してきた。同宮の御田植え神事は第二次世界大戦の影響で昭和16年以降途絶えていたが、古老らの記憶をもとに平成3年に再現された。
 「50年途絶えた唄と踊りの復活は困難を極めた。老婦人が少女の頃の記憶を思い出し、踊りの師匠が復元した。すると、奈良の春日大社のお田植唄とよく似たもので、大和朝廷との深いかかわりを再認識した」と本名宮司。
 島には海人族の遺跡が多くある。2015年には南あわじ市で最古級の銅鐸7個が見つかり、音を鳴らすための舌(ぜつ)(振り子)が入れ子になっていたことから、同市は弥生時代の銅鐸の音を再現している。鐸の読みが「さなき」でイザナギに通じることから本名宮司は、「伊弉諾尊は海人族の頭領だったのではないか」とも語る。