新生活でローカリティの回復を

2020年8月10日付 766号

 森鷗外は「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」で始まる遺書を残し、60歳で亡くなった。代々津和野藩の典医の家に生まれ、今の東大医学部を卒業後、ドイツに留学し、帰国後は陸軍軍医を務めながら、小説家、評論家、翻訳家として活躍し、話題作を発表していたが、大正元年の乃木希典の殉死を機に、その作風を大きく変えた。『阿部一族』など歴史小説を中心に、日本人の家族や共同体の在り方を問うようになる。
 石見国津和野藩は山陰の小藩でありながら、最後の藩主・亀井茲監(これみ)は明治新政府で神祇事務局判事や神祇官副知事などを歴任し、岡熊臣や大国隆正、福羽美静ら国学に長けた藩士とともに、明治初期の宗教政策を主導し、国民精神形成に大きな足跡を残した。それは欧米列強のグローバル化に対応しながら、日本としてのローカリティに根差す国づくりであった。鷗外はそんな石見人として、自らの生を終えたかったのではないか。

地域に愛着してこそ
 新型コロナウイルスの感染防止のためにテレワークが奨励され、生まれ故郷の地方に住みながら、大都市にある会社に出社することなく、仕事を続ける人が増えている。コロナ後の新しい生活で、そうしたライフスタイルが定着すれば、日本の風景はかなり変わるのではないか。
 住み続けることにより地域愛、郷土愛が生まれてくる。愛着が生まれると、地域のため何か貢献したいと思うようになる。そこに都会や仕事で培った知識や技術、人脈が生かされると、暮らしやすい地域へと変わっていくのではないか。そんな運動が各地に広まるのを期待したい。
 今の日本は地方から大量の人材が都会に集まり、仕事中心の生活をすることで築かれてきた。それで日本は経済的に大いに発展したのだが、経済成長がピークを打ってから気付いたのは、地方の衰退である。典型的なのが耕作放棄地の増加、山林の荒廃による自然の崩壊である。豪雨のたびに水害に見舞われるのも、そこに一因がある。
 地方創生が容易に実現しない最大の原因は、人材不足である。逆に言えば、人材がその地に定着すれば、自ずと身の回りの問題を解決しようとするから、新しい動きが始まる。テレワークが当たり前になれば、その環境が一つ整う。
 さらに大切なのが、鷗外の心境である。式年遷宮で20年ごとに建て替えられる伊勢神宮の正殿の柱は、土の上に直接立てられている。諏訪大社の御柱も同じ。日本の神が柱で数えられるように、天と地をつなぐ柱は神の依り代、あるいは神そのものであり、そのため大地に密着していなければならないのである。同じく、柱で数えられる御霊を持つ人も、そうではないだろうか。その土地に密着してこその人間であり、風土により人間に育てられるのである。都会と地方の生活を体験することで、そのことに気づく日本人が増えているのではないか。
 『死という最後の未来』(幻冬舎)で87歳の石原慎太郎氏と88歳の曽野綾子氏が、赤裸々に自らの死を語り合っている。共通しているのは、最後まで社会貢献したいという生き方。『死生観の時代』(海竜社)で拓殖大学総長を務めた開発経済学の渡辺利夫氏は、仕事の中に幸福があると言っている。高齢化問題では福祉ばかりが語られるが、高齢者が最後の命を輝かせようと社会貢献すれば、地域を変える大きな力になる。
 その際、大切なのは無欲で、知られなくても地道に、一途に働くことである。それこそ日本の宗教が目指してきた「今を生きる」生き方と言えよう。高齢者一人ひとりが自分の人生を幸福に終わらせるため、今の自分に向き合い、心を掘り下げることを願いたい。それが、コロナ禍を福に転じさせる道に通じるのではないか。

日本人の神と仏
 自分を生んだ郷土への愛が高まると、死とはそこに帰ることだと、素直に思えるようになる。定住を始めた縄文時代から、先祖たちはそんな死生観を培ってきたのであろう。
 そんな心性で渡来の仏教も受容したので、実に人にやさしい日本仏教になった。さらに、白洲正子が『西国巡礼』(講談社文芸文庫)で述べるように、「今は地上から消えうせたような神々が、観音様の衣のかげから、ふと顔をのぞかせる」。それが日本人の神仏習合、神仏補完、神と仏の使い分けで、目的は人間としての幸福である。

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