ポスト・コロナの世界と宗教

2020年5月10日付 763号

 NHKテレビのインタビュー「〝コロナ危機〟どう生きる」で山中伸弥さんは、「最初はコロナとの〝闘い”という表現を使っていたが、今はもう使っていない。ウイルスとの〝共存”、平和的共存だと思っている」とし、「ウイルスを完全になくすことは不可能なので、人間社会がノックアウトされないように、いかに徐々に受け入れるかで、この数か月できるだけ人との接触を避けることが我慢のしどころだ。その後も昔のように自由にはならず、ある程度の我慢、工夫を1年、あるいはそれ以上続けることになる」と語っていた。
 感染症が人類の歴史を大きく変えてきたことから考えると、大恐慌以上の危機とされる新型コロナウイルス感染症は、キリストの生誕によって分けた紀元前後と同じ規模の変革をもたらすかもしれない。人間社会の在り方、私たちの生き方はどう変わるのだろう。

ウイルスとの平和共存
 2014年に国際アンデルセン賞を受賞したファンタジー作家の上橋菜穂子さんは『物語ること、生きること』(講談社)で、「物語にしないと、とても伝えきれないものを、人は、それぞれに抱えている。だからこそ、神話のむかしからたくさんの物語が語られてきた」と述べている。受賞後の最初の長編『鹿の王』のテーマは感染症だ。
 上橋さんの作品には、ファンタジーに現代社会の課題が織り込まれている。テレビ化された『精霊の守り人』では、建国神話に隠された王の秘密が最後に明らかにされ、歴史は勝者に書かれることをほのめかす。『月の森に、カミよ眠れ』は、律令制度に取り込まれていく九州の村が舞台で、村を変えるべきか古い暮らしを守るべきか、葛藤する人々が描かれている。時代や社会の影響を受けながら、自分の行動で社会を変えていくのが人間である。『鹿の王』のあとがきには、「人(あるいは生物)の身体は、細菌やウイルスやらが、日々共生したり葛藤したりしている場でもあり、それは社会に似ている」とある。
 頭脳が高度に発達した人間は、物語を紡ぎながら生きていく生物であり、宗教もその核心部分は物語で構成されている。創唱宗教では教祖、宗祖の個人史や教団の奇蹟や迫害の歴史が、多くの編集の手を加えられ、人々の心に浸透しやすく、感動的に仕上げられている。骨格になるのは理論、思想だが、人に伝わり浸透するのは物語としてである。
 古代の宗教は当時の知や技術の総合であり、奈良時代の南都六宗のように、宗教というより大学だった。空海は土木技術から水銀の精錬法まで唐から持ち帰ったとされる。近代化に伴い、宗教はその周辺部分を独立させ、宗教とは何かを問い直しながら、核心的な教理を磨いてきた。それが、その時代、その社会で人はどう生きるかという価値観の形成を促したのである。
 山中さんは「今は日本人の規律というか、自律性が試されており、これまで何度も危機を乗り越えてきているので、今回も必ず乗り越えられると思う」と話を結んだ。ロックダウンのような強制によるのではなく、人々が自律的に暮らし方を変えることによって、パンデミックのない社会をつくるのが日本の良さであろう。世界にはITを使った監視や統制強化の動きもあるが、社会の自由性を後退させてはいけない。
 人の自律性は、三密を避けるなどの行為を、対処的にではなく、生き方の物語とすることによって実現する。新しい物語の創造が、生き方を変えていくのである。
 人口密度の高い国や地域ほど感染症の打撃が大きいことから、フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は、大都市から地方への人口移動など、街づくりが大きく変わると予測している。確かに、地方で暮らしていると、大都会のような危機感はない。ウイルスとの共存は、もっと広げれば自然との共存であり、自然との接し方の再考が求められているとも言えよう。その先に、グローバリゼーションとローカリゼーションが統合された社会を展望したい。

人づくりの宗教
 宗教の本質は、救済も含む人づくりにあり、その基本となる価値観を探究、発展させてきた。それぞれの宗教に理想的な人格があるが、大切なのはそれが自律的に実現されることである。草木国土悉皆成仏の風土を有する日本は、そうした本来の、あるいは未来の宗教を育む土壌があると言えよう。それをポスト・コロナの生き方として、世界に発信できるかもしれない。