東昇先生

 2020年4月10日付 762号

 新型コロナウイルスで思い出したのは、学生時代にお世話になった東(ひがし)昇先生。国産初の電子顕微鏡の製造者で、日本ウイルス学会会長、京都大学ウイルス研究所所長、日本電子顕微鏡学会会長、国際電子顕微鏡学会連合総裁なども務めた。同時に熱心な念仏者で、「お念仏」の法話もしていた。
 東先生が生まれた鹿児島県川辺町(現・南九州市川辺町)は江戸時代からの「かくれ念仏」の里。母の念仏を胎内にいるときから聞きながら育った。東大志望の先生に京大を勧めたのも母で、親鸞のゆかりの地だったから。
 京大医学部に入った東先生は親鸞寮に入り、同郷の川畑愛義らと池山栄吉大谷大学教授の指導で『歎異抄』を学ぶ。当初、自力に引かれていたが、自身の煩悩、罪に目覚めるにつれ、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉で念仏に目覚めたという。私は農学部で、親鸞大好きの柏祐賢先生を介して東先生に出会った。
 当時、東先生は「がんウイルス説」を唱え話題になった。同説は昔からあったが、1911年にニワトリのがん細胞をすりつぶした濾過液を正常なニワトリに注射してがんを起こし、58年に肉腫ウイルスを培養したニワトリ細胞に感染させ、がんを発生させたことで再浮上する。がんの原因については、他にも遺伝、化学物質、ストレスなどさまざまある。私も胃がんになった時、「そう言えば」と東先生を思い出し、懐かしかった。

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