少年時代からの音楽的才能

シュヴァイツァーの気づきと実践(5)
帝塚山学院大学名誉教授 川上与志夫

 小学校や中学校に通っていたころ、アルベルトの学業成績は歴史と音楽をのぞいては、いたって平凡なものだった。その音楽的感受性と才能には、目を見張るものがあったようだ。3歳からピアノを習いはじめたが、2年後にはやさしい歌に独自の伴奏をつけて弾けるようになっていた。
 6歳で小学校に上がったとき、隣の教室から聞こえてくる二部合唱の和音や、管楽器による吹奏楽の響きに、気を失うほどの感動を受けた。このエピソードからも、彼の音楽的感受性が人並はずれていたことがうかがえる。
 その才能が認められ、8歳になると村の教会のパイプオルガンを弾くことを許された。これには音楽的家系の影響があった、と後に述懐している。その翌年には、教会のオルガニストが留守のとき、日曜礼拝の代奏をつとめるようになった。礼拝の雰囲気を生み出す前奏には、主にバッハの曲が使われた。賛美歌をうたう会衆の、間延びしたうたい方に調子を合わせながら先導していくには、かなりの技術と経験が必要だ。いくら技術に優れていても、9歳の子どもであるアルベルトにとって、それは至難の業だった。しかしすぐに、彼は一人前の演奏者、伴奏者として、教会での務めを十分にはたせるようになった。
 10歳になると、ミュールハウゼンの町にある中学に進級。その町に住む、子どものいない老夫婦である親戚の世話になることになった。伯母は読書と音楽が大好きで、編み物をしながら音楽を聴いたり、ときには声をあげて読書をしていた。
 アルベルトをあずかった責任は重い。伯母は厳しくアルベルトをピアノに向かわせた。遊びたい年ごろのアルベルトである。決められた時間にピアノに向かうのは、ときには気乗りしないこともあった。そんなアルベルトの心を察した伯母は、「ピアノはあなたの人生で大きな意味を持つようになるわよ」と言って、彼を励ました。さらに伯母は、ときどきアルベルトを散歩に連れ出した。町の様子や自然界のいとなみから、何かを掴みとってほしいとの思いからだった。読書についても伯母はうるさかった。アルベルトには速読の癖があった。伯母はたびたび「文章には作者の思想や感情が込められているのよ。それを素直に感じとり、じっくり味わったり考えたりしながら読むものよ」と言い聞かせた。
 ピアノの練習については伯母の言うことを素直に受けたが、読書に関しては改めることはなかった。アルベルトは自分なりの読書法をよしとしていたのだ。この速読による理解力は、その後の彼の途方もない学問的探究につながった。それは哲学、神学、音楽に関する学位論文や著述に生かされることになったのだ。
 10代のなかばで、ちがった教え方をする2人のピアノ教師に習い、さらに、シュテファン教会のパイプオルガニストであるオイゲン・ミュンヒ先生の教えを受け、アルベルトの演奏力はみがかれていった。それに拍車をかけたのが、バッハ演奏の第一人者である、シャルル・マリ・ヴィドール先生との出会いであった。