無明時代(ジャヒリーヤ)を超えて

カイロで考えたイスラム(20)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉

 イスラム教は、ムハンマドが出現する以前の時代をジャヒリーヤ(無明時代)と称し、部族同士が血で血を洗う闘争や、エゴイズムや権力欲、自分の部族への忠誠による戦争、殺人、強奪などが正当化された無法時代だと規定、イスラム教はそれを抜本解決するのに偉大な貢献をしたと主張している。
 即ち、氏族や部族の繁栄を中心とした価値観から、神を中心として、人間は平等であり、血縁や人種や肌の色、職種、能力の区別なく、公平に取り扱われるべきだとの抜本的な価値観を提示したというのだ。価値観の転換によるイスラム共同体(ウンマ)の形成により、平和な社会実現を目指し、部族社会を解体し、血縁ではなくイスラムという信仰による同胞意識を植え付けようとしたのである。
 ムハンマドが天使ガブリエルから受けた啓示の内容を社会的な観点から見ると、富の公平な分配、貧者や寡婦の救済、商業独占化の禁止、道徳の確立、部族間紛争の終焉、忌まわしい因習の廃止などで、確かにそれが実施されれば、旧体制が崩壊し、新秩序が確立されるだろう。
 ムハンマドは、各種疑念を生んだ生誕地メッカから、命からがらメディナに逃れた(ヒジュラ=遷都)ものの、メディナでは新しい社会の実現に成功し、ついには、クライシュ族に勝利してメッカも奪還した。これが当時のアラブ社会に革命的、画期的変革を生み出したイスラム的価値観の素晴らしい一面であり、長所中の長所と言えそうだ。
 ただ、その後のカリフ時代のカリフ暗殺やカリフ就任を巡る争い、ハワーリジュ派やシーア派などの分派の発生など、イスラム共同体の内部対立や闘争を見るにつけ、平等や公平は実現されず、いつの間にか、ジャヒリーヤの時代に逆戻りしたかのような事態になっている。
 このことは、提示した価値観が実現されず、理想的な共同体が形成されなかったことを示している。同じ信仰の人の集まりだけでは理想は実現されないということを実証したことになる。個人のエゴイズムや権力欲、名誉欲などが克服されず、隣人を兄弟のように愛する次元にまで信仰の仲間との間の関係が発展しなかった。では何が必要だったのだろうか?
 イスラム思想史上最大の思想家で、古典スンニ派思想の完成者と称されるイスラム教神学者ガザーリーは、神への愛による社会愛の観念を初めてイスラムに導入した人とされている。彼は「我々の全精神を傾倒して神のみを完全に愛するならば、この愛は神以外の者に対する排他性の故に、正にその故に、神に属する全ての者、神によって創られたあらゆるものを偏愛することになるのである。我々は神のみを純粋に愛することによって、全てのものを、全ては神の被造物なるが故に愛することが出来るのである」と主張した。「もしある人が相手をこよなく愛するならば、彼は愛の直接の対象であるその個人のみならず、その相手に属する全てのもの、彼の子供や家族、親族の人々、隣人、時には彼の犬まで愛さずにはいられないであろう」とも指摘、神を真に愛し、神の心を自分の心とすれば全ての人及び万物を完全に愛しうるとしたのだ。
 ガザーリーは、人間が完成するということは、神を愛し、神の心を自分の心として、神と喜怒哀楽を共にする人間になると言いたかったのではないか。問題は、そこまで人間が完成しないために神の心を感じず、その結果、人間同士が争い、家庭や氏族、民族、国家に至るまでの争いが展開されるようになったという結論になる。六信五行を実践することで満足し、自らが神の心を持つ完成人間とならなかったのである。
 結論的には、個人が神のような愛において完成しなければ争いはなくならないということを示している。イスラム教が示した価値観の短所(欠陥)という点から見れば、イスラム教が、人間を完全な愛の人として完成させる力を持っていなかったことを示している。信仰の連帯感はあるものの、他者を完全に愛するという人格を完成させる力に欠けていたということになるだろう。
 スーフィズムの出現には、現世的な欲望に流されて忘れていた終末の審判に備えるという動機もあったが、神との合一を求める神秘主義的な要素も加わり、最終的には、神人合一の境地を求めるようになる。初期スーフィズムの最高峰をなす3人の傑出した神秘家、ジュナイド、バスターミー、ハッラージなどがその域に達しようとしていた。
 六信五行の信仰生活では達成し得ない、神との直接的な出会いを求めるスーフィズムが台頭したのも、完全な人間になることなくして対立や闘争、戦争はなくせない現実に直面したからだろう。ガザーリーは、イスラム法学や神学とスーフィズムを融合し、本来の人間のあり方を求めたのである。
 イスラム教は、人間を悪の方向に誘惑して悪事を働かせるサタンが存在するとする。人間がどんなに努力して神と合一しようとしても、サタンが邪魔をして、神から離間させようとする。そのことも、イスラム教が理想を実現できない大きな要素となっているのかもしれない。イスラム教がその理想を実現するには、さらに教えの質を高める必要がある。
(2019年10月10日付756号)