追悼・池田記者

2018年12月10日付 746号

 先日亡くなった本紙記者・池田年男さんのことで思い出すのは二〇一三年、京都・東山の同志社墓地での遭遇。新島襄と八重の墓参りをし、山を下りかけて振り返ると、坊主頭の年配の男性が襄の墓に手を合わせていた。これはいい絵になると撮影し、振り返った顔を見ると池田さんだった。

 同志社の卒業生なので、毎年、墓参しているという。後に、他紙の日曜版に、遺作となる高山右近の評伝小説を連載したことからも、キリスト教への深い思い入れがあったのだろう。

 その挿絵を担当した画家で出版社社長の越智俊一さんが寄せた追悼の言葉に、「右近の生涯を余すことなく表現したその文章はすばらしく、何度も胸を打たれたものです。…マニラでその生涯を閉じた右近の最期の言葉は、『我が魂は主を仰ぎ見にゆく』でした。池田さんは、右近の後を追ったように思えてなりません」とあった。

 池田さんは天地子が京都の大学で二年の時、同志社に入っているので、同じ学園紛争を共有し、影響を受けた。池田さんが昭和四十八年に参加し、共感したという政治講演会に、天地子がスタッフとして携わっていたのも不思議な縁。

 本紙も少しかかわったお東さん騒動で分裂し、その後、嵯峨本願寺を開いた大谷光道住職に取材し、記事を書いてくれたのにも因縁を感じる。

 毎号、良質な記事を当たり前のように送ってくれた池田さんのような人が、この国と社会を支えているのだ。さわやかな印象を残して逝った同志を、今は懐かしく思い出している。