心的外傷後成長(PTG)と宗教

2024年3月10日付 809号

 能登半島地震の被災地・輪島市に神戸から駆け付け、炊き出しを行った神戸国際支縁機構の岩村義雄代表が語る、被災者への傾聴ボランティアの必要性は、宗教者の社会活動に大きな示唆を与えている。
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、強い精神的なトラウマ体験によって生じるストレス症状だが、それと対照的な現象がPTG(心的外傷後成長)で、辛い体験で強いストレスを受けた後に人として成長すること。米国の心理学者により1990年代に提唱された。

自分を物語ること
 PTGを実証した一人が、ユダヤ人強制収容所に収監された体験をもとに『夜と霧』を書き、精神障害を克服する心理療法を提唱したオーストリアの精神科医ビクトール・フランクルだろう。イギリスのチャーチル首相は、若い頃、南アフリカのボーア戦争で捕虜になった体験からうつ病を患うようになったが、苦しみながらも国民を率いてドイツとの戦いに勝利し、英雄となった。
 団塊世代が後期高齢者の仲間入りをし、多死社会になった日本では、死を見据えてどう生きるかが問われている。戦後教育を受け、特定の宗教を信じる割合は少ないが、死を意識して絶望的にならない人が多いのは、死を思うことが逆説的に成長をもたらすことを体験的、文化的に知っているからではないか。これもPTGの一つである。
 傾聴が被災者のストレスを成長へと転換させるきっかけになることは、東日本大震災の被災地でも見られた。寄り添う支援者に心の内を語ると、それは自然にその人のライフストーリーに発展していく。研究者によると、ライフストーリーを語る効果は、①トラウマ前・中・後の間に連続性を生み修復する、②起こったことの意味を見いだす助けとなる、③失ったものを悲しみ、記憶に残す機会を与えてくれる、という。
 そして自分について物語ることにより、①私には立ち直る力があり、②助け合う人がいて、③新しい道が開ける、という「力」「関係性」「世界観」の発展につながる。それが人としての成長をもたらすのであろう。
 人は自分の物語を語ることで、過去と現在を再構築し、それを通して自分を理解し、周りの人たちとの関係性を修復し、トラウマの悪影響を減らし、最終的に人生の意味を発見し、それを表現することで、新しい自分を形成していくのである。つまり、自己形成とは自分が主人公の物語の創作なので、時と環境に応じて編集し直すことができる。それだけの可塑性が人間の脳にはある。
 被災者がトラウマから立ち直っていくプロセスで、自ら支援者になることの効果がよく語られる。少しずつ余力が出てくると、人を助ける側になるほうが、よほど自分にとっての励みになるからだ。それが人間の本性の一つなので、人類は幾多の困難を乗り越えられてきたのだろう。
 岩村義雄氏の「人間だけでなく動物、植物、鉱物に対して注ぐのも隣人愛」との言葉は重要で、自然環境とのかかわりも人の成長にとって欠かせない。最澄が、衆生はみな生まれながらにして仏となりうる素質(仏性)をもつとして「一切衆生悉有仏性」を唱え、天台宗では「涅槃経」に基づく「草木国土悉皆成仏」が強調されたように、日本人は自然とともに成仏する、涅槃の世界に入るとの信仰を培ってきた。それは、宗教心が薄れたとされる現代人の死生観にも反映されている。
 死とは自分を生み出した大宇宙に帰ることと考えれば、多くの宗教の説く来世観と矛盾しない。要は物語として心に馴染むかどうかである。死を思うことで人は思考を深め、そこから宗教も科学も生まれてきた。心と体、観念と現実のように、弁証法的に相互作用しながら、一人ひとりの世界像を構築してきたのである。その意味で、災害は自然とのかかわりを考え直す機会でもあり、東北で会った津波の被災者が、「それでも海を恨む気持ちにはなれない」と言った言葉が忘れられない。

日本の未来のために
 少子高齢化を先取りしたような被災地の復興には、日本の未来がかかっている。豊かな自然環境の中で、人と人とが深く結ばれたまちづくりが目標になろう。そのために全国民がどう支援していくかが、これからの国のありようを決めることになる。
 災害ボランティアをはじめふるさと納税や観光など、いろいろな支援のメニューもそろっている。それぞれが可能な範囲で能登の復興にかかわることが、個人にとっても国にとっても大きな意味を持つように思う。