農福連携で幸福社会を目指す

2023年12月10日付 806号

 NHKスペシャルで11月26日と12月3日、シリーズ「食の防衛線」が放映され、米と酪農の深刻な現状に警告を鳴らした。背景にあるのは、1961年に制定された農業基本法に基づく経営規模の拡大、食料・飼料・肥料の海外調達の限界で、いずれも資本主義の本質的問題を示している。

食糧安全保障
 米生産の規模拡大によるコスト削減は、経験的に耕作面積10アールが分岐点だという。それを超えると大規模化の弊害が現れる。飼料などの海外調達は、ウクライナ戦争による飼料・肥料の高騰により、各国が輸出制限する危険性を露呈した。これらを経済政策で克服するのは基本だが、それだけでは構造的危機は乗り越えられない。
 日本はカロリーベースの食糧自給は38%だが、高地にあるスイスは耕地条件が厳しいにもかかわらず80%を維持している。国策として食糧安保を最優先してきた結果だ。長年にわたる国民的な議論がそれを可能にした。国民の多くが自身の生き方として、農家や自然環境を守るべきラインを設定し、一定のコスト負担を覚悟したという。農家の平均年齢は49歳で、世代交代が順調に進んでいる。
 農福連携は農業に障がい者など福祉の対象者を導入し、人手不足と障がい者の就労を同時に解決しようという政策だが、もっと大きく資本主義社会の仕組みの改良を目指すべきだろう。倫理的に言えば、利己から利他への転換、利他に包まれた利己社会の実現である。そこに大きな役割を果たせるのが日本の宗教と言えよう。
 新人類の中でホモ・サピエンスだけが繫栄したのはコミュニケーションによる共同・協働を実現してきたからである。そのため、他の動物に比べ脳を飛躍的に進化させてきた。血液の実に60%が脳で消費されているという。
 共同の核になったのが宗教で、始まりは祭祀であった。フランスの哲学者アランが言うように、人間の悩みの大半は人間関係からくるもので、それが解決できないと争いになるのは、今も昔も変わらない。例えば、農業の生命線である水の分配は、集団の代表の相談によって行われたが、その決定を確保するには宗教的権威の仲介を要した。つまりシャーマンが神と人とを仲立ちし、祭祀を行うことで、人々の和を保ったのである。
 そうしたアニミズム的な宗教は、やがてより多数の集団を統率する必要から、悪・罪からの救いという、個々人の内面からの渇望に基づく宗教へと進化してきた。マズローは自己実現を頂点とする欲求五段階説を提唱したが、梅原猛は救済欲を付け加えた。それは、悪・罪を自己の内に自覚してから芽生えたものである。共同体維持の社会倫理を拡大するには普遍的な論理が必要で、それが「悪・罪からの救い」という構造をもつ世界宗教の始まりとなった。
 現下の食糧難も、人類史上何度もあったトリガーと理解すれば、これを乗り越えるのが21世紀の進化と言えよう。それには、科学技術に基づく資本主義の論理だけでは無理で、超宗教・超宗派的な倫理の普及が欠かせない。分かりやすく言えば、利他に包まれた自由・民主主義社会の実現である。
 高齢社会では、高齢者の生きがいと融合させるのも一案である。現役時代は利己的に生きてきたが、自己実現の最終段階では利他的に生き、幸福感に包まれて最期を迎えるのが理想ではないか。マザー・テレサが言うように、人生の99%が不幸であっても、最後の1%が幸せなら、その人は幸福な人生だったと言えよう。それは誰もの願いではないだろうか。

健康長寿型農業
 考えてみると、効率優先の資本主義社会も、多くの利他によって支えられている。子育てなどは、利他が働かないと成り立たない。他者との関係の基本である夫婦も、利他の気持ちを失うと険悪なものになる。自治体の社会福祉協議会の事業など、まさに利他に基づいており、政策の基本理念の一つになっている。
 その利他と高齢者の自己実現を融合することが、日本社会を維持する重要なピースになろう。農家の高齢化は負の側面だけ強調されがちだが、健康長寿のための農業だとすれば、違う風景が見えてくる。実際、農業の現場を見ると、働いているから健康という高齢者は多い。もちろん、事業継続のため世代交代は必要だが、健康長寿と集落維持、人と地域を守るための農業も強調されるべきだ。それは、人は何のために生きるのかという根本的な問いに答えることにもなる。