寄稿/旧統一教会の供託金申し出の会見に思う

元武蔵野女子大学教授 杉原誠四郎

誇張された被害総額
 11月17日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の田中富広会長は、旧統一教会の一連の献金問題に関し、「おわび」すると会見を開いた。国会で教団が財産を隠すのではないかとして財産保全の立法が取りざたされていることを念頭に、最大100億円の供託を国にしたいと表明した。
 要するに、被害額弁償の前に財産隠しをして支払わなくなるのではないかという懸念が寄せられているので、そのような意図はないことを明確に表示しようとしたのだと思う。だが、旧統一教会への法外なバッシングが行われているなか、その意図は十分に世間の人に伝わらなかったようである。
 それにしても、安倍晋三元首相が凶弾に斃れて以来、旧統一教会に向けて異常なバッシングが行われ、私は旧統一教会の信者でも何でもないが、法的に見てあまりにも不当なバッシングが行われているので、今行われている旧統一教会へのバッシングに、法的に見た場合にどのような問題があるのか指摘しておきたい。宗教に関心のある人にとってそれなりにお役に立つところがあると思う。
 先ずは10月13日、文部科学省によって東京地裁に解散請求が出されたときの文科省の説明である。
 文部科学省は解散請求に当たって、安易に「被害規模」は計204億円で人の数としては約1550人と言っていたが、これは被害者だと名乗った人の人数とその人たちが申告したところの被害額の総額だ。
 被害額というのは法的に厳密にいえば、返金を求める正当な理由があって、それにも関わらず教団が支払わないときに、その金額が被害額になるのであって、自ら被害者だと名乗る人の被害の申告額がそのまま被害額になるわけではない。
 宗教関係者に改めて認識してほしいが、宗教団体一般の宗教活動にあって、必ずや確認しておかなければならないのは、信仰の時点で寄付したお金を信仰を失った時点で信仰しなくなったからといって返還を求めることはできないということである。また、ある人が高額の寄付をすることによって、他の人が困窮に陥ることがあるかもしれないが、その寄付金が寄付者のお金であるかぎり、他の人が返還を求めることはできないというのも原則だ。
 寄附に関するこのような原則から見ると、文部科学省が言う被害規模が204億円で約1550人というのは途方もなく誇張された数字だということになる。宗教法人を扱う文部科学省が、このような不当な数字を挙げて、それが実態であるかのように言うのは、明らかに不当な印象操作であり、法的に不当なバッシングであり、いわゆる風評被害に向けて文科省が加担し、煽っていることになる。
 204億円という数値がいかに不当かは、旧統一教会を長年非難攻撃してきている全国統一教会被害者対策弁護団が現在、集団交渉で求めている額でさえ39億円であることから、文部科学省の被害規模のこの数値は不当表示であり、まさに風評被害に加担したものであり、「法の支配」のもと、公正であるべき行政官庁としては本来、絶対に許されてはならない行為である。

解散請求の法的問題
 また、解散請求の裁判所での進行には、これまた、「法の支配」のもと、深刻な法的問題がある。
 現行法では、宗教法人の解散命令は裁判所が行うことになっており、その審理は非公開で行うことになっている。とすると、最初の地方裁判所で解散命令が出て、それに抗告して、そして最後に最高裁に至るとしても、それは非公開の審理によって解散命令が決定することになる。
 これは「法の支配」のもと、司法公開の原則に反している。特定の宗教法人が憲法第32条に定める裁判を受ける権利を奪われたままに解散させられることになる。
 このようにして、もし解散命令が出て解散となったとき、旧統一教会にどのような非があって解散させられるのか、国民にはわからないままに旧統一教会の解散が行われることになる。報道によれば、旧統一教会は文部科学省の出した質問に答えなかったものがあると言われているが、不当な質問があればそれに答えないのは当然であり、しかし質問が不当なのか回答拒否が不当なのか、国民にはいっさいわからないままに旧統一教会が解散させられることになる。これでは明らかに「法の支配」のもと、司法公開の原則に反して憲法違反である。
 それでも裁判所の命令として解散させる現行の制度を総合して検討すると、宗教法人法第81条に定める裁判所による解散命令は、宗教法人が刑事犯罪を犯し、解散理由が事実上公開されて、解散理由が誰にも分っている状態でしか解散命令は出せないことを意味していることになる。過去に解散させられた宗教法人は、全て刑事事件を起こしていたことからも、それはわかる。戦後を通覧してみても、宗教法人法施行以後、刑事事件を起こした宗教法人でさえも解散命令が出なかった例もいくつかある。そうした例と比べても、今回の旧統一教会への解散命令請求はいかに異常かわかる。異常どころか憲法違反になるのである。
 岸田文雄首相が昨年、解散命令の理由に民事も含まれるとしたのは、宗教法人法のことを考えなければ一般には認められる判断だが、宗教法人法第81条のことを考えれば、出せない判断であり、岸田首相は明確に判断を誤ったことになる。
 宗教法人法第81条は、もともと制定経緯からして、宗教法人の自由な活動を保障するために容易に解散命令を出せないようにするもので、そのために裁判所の命令によって初めて解散させられるという趣旨であった。だから、岸田首相のこの民法の不法行為も含まれるとした判断も、文科省の解散請求も本来の宗教法人法の精神を踏みにじる行為だということになる。
 岸田首相は、このまま解散請求の進行を容認していくのか。容認していけば、ますます、違法、不法な法的状態に入っていくことになる。

首相判断の誤り
 岸田首相は、テロリストと呼ぶべき犯罪者が、旧統一教会への恨みを漏らしたとき、そのテロを糾弾しなければならないのに、旧統一教会への批判に踏み切った。このときにすでに岸田首相は判断の誤りを犯したのだと思われる。
 安倍晋三元首相の死後、燃え盛っている旧統一教会へのバッシングはもともと極めて不自然なところがあった。旧統一教会に対する解散命令請求は、河野太郎消費者担当相が公正中立であるべき消費者庁の「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」に同教団を告発してきた、本来、旧統一教会に対して中立でない人物を複数名任命する逸脱行為から始まった。岸田文雄首相はそれをたしなめなかった。
 岸田首相はさらに大局的な判断を誤って、解散請求理由に民法の不法行為も含まれると言い出した。そして自民党は旧統一教会との接触を断つなどと言ったが、宗教団体は本来、その掲げる理想を実現するために政治家と接触するのはむしろ権利として持っている。問題があるとすれば、それは接触自体ではなく接触の中身である。岸田首相は連続して判断を誤り、二進も三進もいかなくなっているのである。
 私は、旧統一教会の信者でも何でもなく、旧統一教会の在り方に全て賛成しているわけではないが、ここで宗教に関心にある人たちに改めて思ってほしいのは、旧統一教会にも真面目な信仰者がいるということだ。私は教団の本部は、今このような不当なバッシングが嵐のように吹きまくっているとき、真面目に信仰生活している同教団の信者を守ることに、普段以上に力を注がなければならないと思う。他の宗教関係者は、現在、批判にさらされている旧統一教会にも真面目に真剣に信仰生活をしている人がいることを認識し、その人たちの信仰の自由をも尊重していかなければならないのだということを自覚していかなければならない。
(宗教新聞2023年12月10日付 806号)