総本山善通寺で「心と命のフォーラム」/香川県

養老孟司・三林京子氏らが「人生論」

フォーラムの様子。左から菅智潤、三林京子、養老孟司、瑞田信弘の各氏

 「生きる作法・死ぬ作法」と題し毎秋、香川県善通寺市の総本山善通寺(菅智潤管長、法主)で開催している「心と命のフォーラム」の第15回が10月4日、菅智潤管長、解剖学者の養老孟司氏、女優の三林京子氏、浄土真宗本願寺派称讃寺住職の瑞田(たまだ)信弘師のメンバーで開催された。今回のテーマは、養老氏のPHP文庫の著書の題でもある「人生論」。約500人の聴衆は熱心に耳を傾けながら、生と死、生き方などについて2時間、思いをめぐらせた。
 同書で養老氏は、人生で最大の未経験は「死」だとし、自らの人生を振り返りながら、死や自分、世間、学問、現代、日本人について語っている。
 古代ローマで語られだした「メメント・モリ(死を思え)」は 「カルぺ・ディエム(今を楽しめ)」との対句で、カルぺ・ディエムは、紀元前1世紀頃の詩人 ホラティウス の詩の一節で、「明日のことは信用せず、その日の花を摘め」の後半、つまり「短い人生で未来に希望を求めて生きるよりも、一日一日を充実させて生きていく方が賢明だ」という意味。仏教的に言えば「今を生きる」となる。
 次にメメント・モリが語られたのは黒死病(ペスト)が大流行した14世紀中頃のヨーロッパで、「死を忘れるな」という警告として。同時に、美術では「死の勝利」がテーマになり、誰にでも平等に訪れる死によって、貧富や身分差が乗り越えられるとした。
 養老氏が東大医学部を卒業しながら医師にならず、解剖学に進んだのは、インターン期間での手術で患者の血液型を間違えかけたのが原因で、「医学においては死んだ人間を扱う解剖学が最も確実なものだ」と考えたからだという。
 弘法大師生誕1250年の記念事業が続いている善通寺管長の菅氏は、年初から釈迦の言葉を学び直しているとして、『スッタニパータ』(岩波文庫)から150章「あらゆる存在界に対する限りない慈しみの心を育みましょう。上にも下にも、そして周囲にも、邪魔をせず、敵意や恨みを持たずに」などを紹介した。そして、東京工業大学未来の人類研究センター長の伊藤亜紗教授が提唱する「漏れる利他」に触れ、「与える側」と「与えられる側」という二つの立場を際立たせる利他ではなく、自然に周りを幸せにするような利他を生きたいと語った。
 香川に来たのは10年ぶりという三林氏は、朝ドラ「ブギウギ」で笠置シヅ子がモデルの主人公の祖母役(手袋会社の女主)を演じていて、本島と彼女が生まれた東かがわ市でロケをしたと自己紹介し、72歳になったが血圧が高いだけで至って健康、100歳まで元気にいるように思え、死は他人事のようだ、と笑顔で語った。三林氏の父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎で、弟も人形遣い。立って片手で人形を持ち続ける芸は女性にできないとして落語の桂米朝に弟子入りした。伝統芸能の暮らしから、日本人は生活が洋式になって丹田を忘れたのが不幸の原因だとし、丹田を意識した呼吸をし、大声で笑うよう、大きな笑い声を実演しながら語った。
 養老氏は、1706年に日本人初の人体解剖を行った幕府の医官・山脇東洋を紹介。当時の医師たちは人体の内部が知りたくてたまらず、幕府がついに認めたことで実現し、日本近代医学の始まりとなったと語った。
 ブータンの仏教的な空気が好きだという養老氏は、現代人が求めているのは宗教の教えや決まり事ではなく、宗教的な雰囲気ではないか、寺や墓地が多い鎌倉に暮らしてそう感じるし、京都や奈良に内外から多くの観光客が来るのもそのためだと思うとし、身の回りにそうした環境をつくることが大事だと語った。