『マークスの山』『レディ・ジョーカー』髙村薫(1953~)

連載・文学でたどる日本の近現代(34)
在米文芸評論家 伊藤武司

髙村薫

ミステリーと純文学
 日本のミステリー作家には多くの女性がいる。夏樹静子、桐野夏生、宮部みゆき、そして髙村薫(たかむらかおる)となる。髙村は1953年大阪市の生まれ。大学卒業後、外資系商社に就職。92年に『リヴィエラを撃て』を40歳で出して以降、サスペンスと社会派フィクションの道を志した。ゆるやかに動きはじめるストーリーが、勢いをつけながら厚みを増し、大きな変貌を遂げるというパターンを特徴とする。殊に刑事シリーズは人気があり、著者の得意とするところである。
 髙村の主要作品は華麗な受賞歴をもつ。第一作『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞。日本冒険小説協会大賞と日本推理作家協会賞の『リヴィエラを撃て』は、リヴィエラというコードネームを手がかりに、M15、M16(イギリス情報局保安部)、IRA(アイルランド共和軍)、CIA、警視庁公安部の人間たちが、東京、ロンドン、ベルファストなど国際政治の陰の世界をかけめぐる。一つの殺人がさらなる殺人をよびこむスリルは、欧米のスパイ小説にひけをとらない質の高さである。冷戦の終焉期、国際スパイの跳梁するさ中、原発テロに光をあてた問題作『神の火』は山本周五郎賞を受賞した。
 長編小説『晴子情歌』は、遠洋漁業に従事する息子に宛てた母親・晴子の半生を下敷きにした日記風の作品。旧仮名づかいの手紙文を挿入するなどの新しい試みからは、サスペンスとは別次元の意気ごみを感じさせる。日本の政界を描いた政治小説『新リア王』は親鸞賞、思弁的で観念的な文脈の難航な美術論と仏教論議をからませた『太陽を曳く馬』は読売文学賞、農業が大自然の摂理と切り離せない関係にあることを説く『土の器』は野間文芸賞・大佛次郎賞・毎日芸術賞を受賞している。
 1993年に長篇小説『マークスの山』が出版された。日本アルプスで起きた殺人事件が発端のミステリーで、直木賞と日本冒険小説大賞をダブル受賞。100万部をこえるベストセラーとなり映画化された。
 昭和51年晩秋、南アルプスに吹雪が荒れた早朝、山麓の飯場で殺人事件が発生、道路作業員が、酔いつぶれた状態で人を撲殺したのである。被害者は自転車販売店の青年で、山梨県警が出動し現地の巡査たちと事件の処理にあたった。偶然、同一地帯で親子3人の排気ガス心中があった。一人生き残った子供は一酸化中毒による重度の後遺症と精神疾患をかかえてしまい、この子供が成長し「マークス」となる。文体は重厚・粘着質の筆致で、内容はきわめて難解、骨の折れる脈絡は純文学の地平に踏みこんだような心持ちになる。
 冒頭を引用してみよう。「この暗い道は何だろうか。両側にそそり立つ暗い垂壁は何だろうか。上も下もない闇が割れるような音を立てている。雪だ。暗過ぎて白いものは見えないが、顔に刺さる棘の冷たさでそれと分かる。何という暗さだろう」
 学生時代に苦手な科目が哲学だったというのが嘘に思えるくらい、深奥な内省的思考が会話や独白に塗り込められている。髙村がミステリーと並んで純文学の道を志したのも納得がゆく。
 『マークスの山』の強みは、推理の限りを尽くし、犯行の意味を問い、被疑者のわりだしに仮説をたて、薄皮をむくように一歩ずつ真実に迫る刑事たちの熱気にある。しかも著者は、犯罪捜査のプロたちも血のかよう普通の人間であることを、優しいまなざしで刻んでいる。主人公の合田雄一郎は、やむをえぬ事情で、離婚せざるを得なかった悔恨の念を内に秘めている33歳の刑事である。

サイコパス
 『マークスの山』は6章からなり、準主人公は「マークス」こと水沢裕之、27歳。一酸化中毒の後遺症で多重人格者・サイコパスになってしまった。暗い周期と明るい周期が交互に支配し、一たび「苦痛も快感」もない暗い世界へはいると「幻声」が聴こえ誰も手に負えなくなるという。脳髄の「アイツ」の声があれこれと命令し、世界の光景や色彩が茫洋となる。水沢は死ぬ瞬間まで、己の声と脳髄に居座る別の声が交じるシュールな分裂症から脱することはなかった。そうした彼が唯一心を許した人間は、半狂乱の彼を一途にケアした看護婦・真知子で、彼女がマークスと現実の社会との唯一のつながりだった。
 一方には、主人公・合田と彼の属する捜査陣が控えている。父親も警察畑を歩んだ合田は本庁捜査一課・第三強行犯捜査班七係の主任。「いったん仕事に入ると、警察官職務執行法が服を着ているような規律と忍耐の塊になる」。刑事たちの個性的書き分けも精細で、犯罪捜査を組織的に奔走するスピード感ある叙述は読者の心を飽きさせない。
 都内各地で次々に発生する事件に翻弄されながらも、捜査から同一人物による犯行と特定されたが、犯罪の性質がこれまでのパターンとは全く異なり、「犯人には一歩も近づけなかった」。3人の殺人を短期間でやり遂げたこと、短銃と「特殊な凶器」による「変質的な残忍」な殺害方法、そして情報提供者を装った「特殊な心理」など。捜査陣の眼前には、被疑者をして「怒り狂わせている」「限りなく不透明な」ある状況が突きつけられていた。「長い間金には無縁の世界にいた」マークスにとって、「金そのものを欲しいと思ったことはなかった」。彼の犯罪は特異なものとなる。
 「灰色の犯人」像の背後に「もっと大きな闇がある」と合田たちはカンを働かせていた。それは捜査網のさらなる拡大を阻む政財界の大物の横やりや、警察組織上層からの圧力があったからで、また警察と検事との対立もある。内部情報の漏洩から捜査は大きく遅延し、事件の周辺では法務省、地検、医師会、大学同窓会、山岳会、弁護士会、マル暴、右翼、マスコミが錯綜する。肝心の刑事たちも、担当が違えばナワバリ争いをし、公安との確執もある。
 睡眠時間を削りながら推理の限りを尽くした合田刑事のたどり着いた結論が、水沢裕之の存在。合田は10年前、別件捜査で彼を見かけていたのだ。「犯人の面が割れ」凶器のアイスハーケンが発見されると事件は急転直下、水沢の公開捜査が始まった。血眼になって犯人検挙に邁進している合田の心を動かしたのは、水沢の恋人・真知子のせつない苦悩の声で、感動的なシーンとなっている。また弁護士・林原との神経戦では、刑事のクビを賭けた虚実とりまぜた息づまる事情聴取の対決がある。
 作者はマークスの辿った苦痛の人生を、彼だけに負わせることをしない。山を共通の誘因として、山に魅せられた男たちの人生の憤怒や悲哀や陶酔の想いを誘いだしている。すなわち、息づまるストーリーの渦中へ、「虚妄」のバイアスの中で迷走する水沢の「血の海」が、合田は「説明の出来ない」言い知れぬ「情念の発作」が、林原の場合は「仲間の秘密を共有しあった…狂気」の束が溶けこんでゆく。厳冬の北岳の山頂をめざす水沢を追跡する刑事たちの執念もむなしく、犯人の生きた捕獲は遂にかなわず長篇は幕を降ろす。
 同一の作品でも単行本と文庫本では、かなりの部分を書き換える髙村にあって、本作も例外ではない。それは完璧をめざす著者のプロ魂といえよう。

差別が生んだ犯罪
 1995年、週刊誌に連載された『レディ・ジョーカー』は合田刑事シリーズ第三弾。身代金誘拐をテーマにグリコ・森永事件をヒントにした。それは執筆の10年前のこと、「かい人21面相」を名乗る者が、江崎グリコに脅迫や放火を起こし、その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家などを次々と脅迫し、現金引き渡しでは指定場所を変えながら、犯人は一度も現れず、結局、正体は分からなかった。さらに、小売店に青酸入り菓子を置き、全国を不安に陥れた。同作は毎日出版文化賞を受賞し、映画化、テレビ放映された。
 読後の第一印象は、在日色の濃い人物たちがかかわるストーリーということ。やくざや被差別部落民の問題は島崎藤村の『破戒』にはじまり、住井すゑの『橋のない川』、中上健次『枯木灘』、梁石日の『血と骨』などに描かれ、本作にも在日問題がからんでいる。
 36歳になった合田を主人公に本庁や警察署の刑事や検事が登場し、主要人物の履歴が、シリーズ一作目のようにてぎわよく叙述されている。目新しい変化としては合田がカトリックの信者になったこと。犯罪グループの主犯は片目の不自由な薬局店主・物井清三。元自衛官の布川は、「レディ」と呼ぶ重度の障害児の娘をもつトラックドライバー。信用金庫職員で在日の高克己、旋盤工の松戸、そして警察の現組織体制に「憤懣の層」を募らせている刑事・半田で、彼らは競馬場で知り合う。次いで物井の娘とその夫・秦野歯科医の仕事ぶりや、社員8000人をかかえる業界トップ「日之出麦酒会社」の社長・城山の一日を追いながら本社経営陣の内部が克明に描かれてゆく。
 その後、八戸の小作農に生まれ、終戦後まで鋳造所で働いていた物井のうら寂しい暮らしぶりが語られる。作者は一章の終わりに秦野の鉄道自殺を報じ、二章の半ばまでで犯罪にからむ総会屋の「その筋」の者や「日之出ビール」と取引先銀行幹部の射殺事件などを順次配置してゆく。こうして犯罪小説に必要なすべての体裁を整えることで重厚な髙村サスペンスの本道がすべりだす。
 物井の出生やその後の茫漠な生の叙述に接すれば、いつ知らず物憂い気分にかられるはずだ。70歳の物井には、だいぶ前に生き別れになった実兄がいた。40年前、兄は日之出麦酒を在日故に不当解雇され、長い抗議文を会社に送付していたが、つい最近のこと痴呆症で死んでしまった。その顛末を知った清三は、「言い知れぬ感情の渦の中」で、競馬仲間たちを誘い「大企業から金を絞り取る」プランを周到に練り始める。それは企業のトップを誘拐し「財を成した連中の苦しむ顔が見たい」というゲーム感覚の犯行計画であった。
 グループを「レディ・ジョーカー」と名づけ、誘拐と恐喝、缶ビールへの異物混入や怪文書をきっかけに「レディ・ジョーカー事件」は社会を騒然とさせた。なかでも現職警官の半田は、運命的に出会った本庁の「優等生」合田警部補を「ひきずり回」し、現場で「苦しむ姿」を見てみたいと、捜査網を「きりきり舞いさせ、失態を演じさせることだけに執心」するのだった。
 かくて、事件発生から1年後、日之出ビールのイメージは失墜し、スキャンダルまみれの役員は退陣する。かつ、死人まで出るに及んで半田は自首。事件の真相が不明のまま、焦燥感にさいなまれる合田の苦衷が描かれ、小説はミステリー的な緊迫感をもって結ばれる。
 書くことを本業と心得ながら、著者は直木賞選考委員を平成5年から務める一方、世界平和アピール7人委員会の一員として内外に発信し、最近では、核兵器廃絶、平和国家への道、新型コロナウイルスに対する人権尊重の抜本的方策などのアピールもしている。髙村の愛読者は、いつの日にか切れ味鋭い本格的ミステリーを心待ちにしていよう。(2023年2月10日付 796号)