『白い巨塔』山崎豊子(1924~2013)
連載・文学でたどる日本の近現代(33)
在米文芸評論家 伊藤武司
船場言葉で大衆小説
東京生まれの谷崎潤一郎が関西弁で旧家四姉妹の細やかな日常生活を描いたのが名作『細雪』で、その30年後、1957年に文壇デビューした山崎豊子は、関西弁でも大阪の中心業務地・船場(せんば)の商家で用いられた船場言葉で処女作『暖簾』を発表した。秀麗な世界を求める谷崎の純文学と、大衆性にウエートをおく山崎作品の違いは明らかで、それぞれに合う関西弁が用いられたのである。江藤淳は山崎の創作を「良い大衆小説とはつねに例外なく理想主義的である」と述べた。「船場の様式感覚」を使いこなした読みやすい筋書で、読者に「安定感と満足」を与えるという。
山崎が文壇に躍り出たのは毎日新聞大阪本社学芸部に籍をおいていた時期で、井上靖が上司であった。『闘牛』で芥川賞を獲得すると井上は退社して本格的な作家活動に入り、その8年後、山崎も『花のれん』で直木賞を受けて退社し、執筆一筋の道に進む。
山崎の生家は船場にある老舗昆布屋。船場は、秀吉の時代に始まる大阪城の西部、現在の中央区北西部で金融や問屋などの商業地で、山崎は船場言葉をこよなく愛し、伝統的な生活スタイルやしきたりに誇りと郷愁をもっていた。生粋の船場人が彼女の素顔といえ、「大阪は、私にとって私の血液そのものなのです。大阪に生れ、大阪に育った私にとって、空気の密度にまで大阪を感じとることができる」と『暖簾』の「あとがき」にある。「大阪商人は、大阪の街と空と河とともに私の血肉となっています」とも。
山崎は船場を源泉にした同系色の小説を次々に刊行する。『花のれん』『ぼんち』『しぶちん』『女の勲章』『女系家族』『家紋』など7年にわたる作品の大半がヒットし、映画やテレビドラマになった。
『暖簾』は、15歳で淡路島から出世を夢見て船場に来た吾平と息子・孝平の、二代にわたる昆布商人の物語。山崎は「私の理想の大阪商人を描いて」みたと言っている。日清戦争直後、丁稚奉公した吾平は、先輩のいじめや朋輩の嫉妬をくぐりぬけ、日露戦争前に手代・大番頭に抜擢され、「のれん」分けを許されるまでが第一部。第二部は、戦災ですべてを焼失した父の事業を息子が復興する話。船場商人の心意気をていねいに描写し、「暖簾は商家の命」「大阪商人が闇稼ぎしたら、日本中にほんまの商人無うなってしまいよるわ」の言葉が印象に残る。
雑誌連載の二作目『花のれん』は、船場の呉服商に嫁いだ御寮人(ごりょん)さん・多加を主人公に、寄席の席主として、「金儲け」一筋の「ド根性」に徹した生涯を描いた女一代記。33歳での執筆で、第39回直木賞を獲得。大阪老舗店の「のれん」に対する思いは信仰にも似た凄まじさで、「何でも金に化けさす」手腕を見せる。河盛好蔵は山崎の特色を「綿密な調査」「ユーモア」「ねばりとしんの強さ」としている。
山本健吉は、キレのいい大阪弁を自在にあやつる出来栄えを称え、「著者は、…捨身になって正しく生きた吾平に対して心からの尊敬と愛情をそそいでいる。それが読者を強く動かす」と評し、さらに山崎が大阪弁について語った「商売には最適だが恋愛には似合いそうもない」を引き合いに、『花のれん』を「ビジネスにおける関西弁の効果を極限にまで活かした創作である」と論じた。同作では、多加がひそかに心を寄せる男性がいたが成就せず、男性は自殺している。
山崎と4歳下の田辺聖子が大阪弁の『感傷旅行』を発表したのが昭和64年。田辺には『大阪おもしろ草紙』という上方文化を論じたエッセイもあり、大阪、京都、神戸、播州、船場などの方言を使い分ける達人として、恋愛小説を書いている。最近では大阪弁と標準語でおりなす川上未映子の『乳と卵』が芥川賞を獲得した。
社会派作家に
『女の勲章』は船場のラシャ問屋の娘・大庭式子が主人公。船場や親に反発してファッションデザイナーとなり、大阪の地に服飾スクール「聖和服飾学院」を創院しファッション界にのりだし、インテリのマネージャー矢代銀四郎の手腕で式子は一躍有名人になる。未来は約束されたかに見えたが、計算高くしたたかな矢代は、法律も経営にも無知、世間に疎い独身の式子を手玉にとり、3人の女弟子には巧妙な手口で経営権を盗まれる。愛と欲望と猜疑と計略が交錯するストーリーは、身も心もボロボロになった式子の悲劇的な自殺で幕を閉じる。
遺産相続の骨肉の争いが『女系家族』。船場の老舗木綿商家「八島商店」の養子婿・嘉蔵が死去し、遺された莫大な遺産と分配をめぐり3人の娘に愛人、叔母、番頭らが壮絶な争いを繰り広げる。遺言状が公開され、意外な顛末を迎えるのが一番の読みどころ。
船場小説群の後、山崎の関心は日本や世界の現実に向かい、その試金石となったのが『仮想集団』。音楽の企画をしている流郷正之は大阪に拠点を置く音楽グループに所属するが、この集団は、音楽を隠れ蓑に、政治的な意図で動いていた。
医療現場を描いた『白い巨塔』の発刊は1965年。前年には東京オリンピックが開催され、純愛書簡集『愛と死をみつめて』が大ヒットした時期である。執筆に際し、助手による取材と資料収集が山崎のルールで、きわめてセンセーショナルな社会派小説である。雑誌連載が始まると反響は大きく、本はベストセラーで社会現象にまでなり、山崎の最高傑作として今日も人気は衰えない。
小説家や歌人には医者が少なくない。明治の森鴎外や斎藤茂吉、現代では北杜夫、加賀乙彦、渡辺淳一、帚木蓬生、海堂尊らが医療・医学小説を書いている。山崎は医学にはずぶの素人だが、小説の要部に医事紛争がからまる複雑な内容になっている。
財前五郎は「食道外科の財前助教授」と評判の高い外科医。大阪の国立浪速大学病院は外科が花形で、8年目になる彼のメスは第一級、食道ガンの吻合手術は国内でトップクラスで、教授のポストもあと一息。貧乏な家庭で育った彼は、人一倍、功名心や出世に貪欲である。しかし、慢心がたたり窮地に陥る。手術の不手際で患者を死なせ、民事訴訟になったからだ。内科医・里見脩二は人生を真っ正直に生きる真摯な学究で、病理教室で財前と共に学びながらも、医学に対する価値観や人生観は異なる。二人の性格と認識のコントラストが、ドラマチックな内容に深みを加えている。
医学の世界は日進月歩だが、医療者の世界はどうか。山崎は、人間の生命をあずかる大学医学部と医局の体質を次のように描写した。「学究的で進歩的に見えながら、その厚い強固な壁の内側は…一人が、どう真実を訴えようと、微動だにしない非情な世界」。「封建的な人間関係」で築かれた大学病院は官僚意識で固まり、権力と名声を追い求める「特殊な組織」で、山崎はそれを「白い巨塔」に見立てて糾弾したのだ。病院幹部の教授・医者たちは学術会議選の票読みや予算審議、政財界人との折衝、他病院との陰湿な派閥対立などに明け暮れている。
小説に描かれた医学界への批判や誤診裁判に関する医師会からのクレームは激越であった。山崎は、裁判に訴えた遺族に声援を送る読者との狭間に立たされる。小説では、一審裁判は姑息な手段をつかった被告・財前がかろうじて勝訴し、医学部長の圧力に屈せず、患者遺族側の証言をした里見は疎んじられ、退職に追い込まれる。
医者の世界を素材にした理由を山崎は、「何よりも人間のドラマがあると感じたから」と打ち明け、実在の大学病院ではなく、あくまでも「小説の中の大学」だと強調している。作者のうまさが光り、ドラマチックでメッセージ性の強い内容となった。
「私は今さらのように、社会的な素材を扱う場合の作家の責任と、小説の在り方の難しさを考えさせられた」の述懐には実感がある。「この選択の難しさは、作家になってはじめて経験した苦悩であったが、最後は小説的生命より、社会的責任を先行させ」続きを書く決意をする。続編は、医師の使命感に燃える里見を中心に進められ、白熱の法廷闘争で財前は敗訴し、進行性のガンで亡くなる。これほど「苦しい小説はなかった」と回想した後編が読者を魅了したことはいうまでもない。
重厚な戦争三部作
読者の期待に応えるかのように、山崎は時代の空気を敏感にとらえていく。『華麗なる一族』は都市銀行の頭取・万俵大介を主人公に華やかな財閥一族の人間模様と、政財界の富と権力をめぐる争いの経済小説。「あとがき」で、金融業について「その閉鎖性は医学界よりさらに聖域であることを痛切に感じた」と取材時の困難さを吐露している。
そして重厚な戦争三部作が、戦争に翻弄された人間の運命をたどる『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』。戦時下、大阪大空襲で自宅の昆布屋が全焼した体験をもつ山崎は、戦争に批判的であった。『不毛地帯』は敗戦後、ソ連の捕虜として11年間シベリア抑留された大本営参謀・壹岐正が主人公。帰還後、商社マンとして人生を再出発し、石油販売の国際経済戦争に奔走する。
『二つの祖国』は、日系移民の家族の物語。アメリカで生まれ教育を受けた天羽賢治は、太平洋戦争の勃発で強制収容所へ送られ、徴兵され陸軍情報部の暗号解読の任務に就き、日本にいた弟はフィリピンの最前線へ送られる。日本の無条件降伏で戦争は終わるが、賢治は日米の狭間で苦悶しながらピストル自殺を遂げる。アメリカ政府が収容所に送られた日系移民に正式に謝罪したのは、本作から7年後のことであった。
『大地の子』は戦後の中国が舞台。満州開拓団の遺児となった勝男は中国人教師・陸徳志に助けられ、陸一心として育ち、日中の共同プロジェクト・中国最大の製鉄所建設のチームの一員として日本に派遣される。受け入れ側の製鉄会社には実父・松本耕次がいた。二つの国と二人の父親の間で彼の思いは乱れるが、最後に養父と妻・月梅と一緒に中国の大地で生きる決心をする。次作の『沈まぬ太陽』では、航空機の墜落事故をめぐり企業の内部紛争を扱った。
感心するのは執念の取材力である。『二つの祖国』ではアメリカ公文書館の膨大な文献作業と日系移民の証言集めをした。完結まで二度病に倒れ、8年を要した『大地の子』は、中国共産党が支配する大陸の奥地を取材し、農民の生の証言に接する「強運に恵まれて」成功した。『沈まぬ太陽』も丹念な取材に遺族への思いやりを感じる。人間描写では対照的な二人の人物を登場させメリハリをつける。この手法の原点は『女の勲章』の式子と銀四郎に求められ、『白い巨塔』では財前と里見の関係となる。
人気作家はトラブルにも巻き込まれやすい。『不毛地帯』『大地の子』などの作品が盗用だと批判されたのだ。剽窃の疑いをかけられた『花宴』では文学賞を返上し、さらに一時的に日本文芸協会を脱会するはめになった。
山崎の作品には湧き出るようなエネルギーの発散があり、その本源は自己アピールする能動的な気性で、創作の先には読者の存在を「痛切に感じている」と言う。様々な人間の心の明暗を描き、社会派小説に全力投入した山崎豊子は、雑誌連載中にわかに発病し、帰らぬ人となった。89歳の絶筆は、未完の『約束の海』であった。(2023年1月10日付 795号)