共同社会の創造に向けて
2022年11月10日付 793号
人類社会が発展してきたのは、子育てから看取りまで助け合う共同性を確保してきたからである。ところが近年、内外共に自国・自民族中心主義が「利他」を圧倒するようになり、人類の未来に暗雲を招いている。これを立て直すには、根底にある人間観から考え直す必要がありそうだ。
近代、特に第二次大戦以降は個人主義が世界の常識となり、それに沿う教育が行われてきたが、それが人間社会の実態とかけ離れていることが明らかになりつつある。1999年に『日蝕』で第120回芥川賞を当時最年少の23歳で受賞した平野啓一郎は、「個人」から「分人(ぶんじん)」へと分人主義を提唱し、その思想に基づく作品を発表し、読者の共感を得ている。人はこれ以上分けられないindividualではなくdividualで、いくつもの人格を統合したのが「本当の自分」だという。(平野著『私とは何か』講談社現代新書)
分人の統合が私
個人という概念が成立したのは市民革命以後で、背景には三位一体論のキリスト教があり、神と人とが一対一で向き合うという思想が11世紀から教父たちの間で議論されていた。近代社会は責任ある個人を基本単位として制度設計されているので、社会制度が整うに伴い個人という概念が浸透していった。しかし、フランスの政治哲学者トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』で、「個人主義は新しい思想が生んだ最近のことばである。われわれの父祖は利己主義しか知らなかった」と述べ、「思慮ある静かな感情であるが、市民を同胞全体から孤立させ、家族と友人と共に片隅に閉じこもる気にさせる」思想であるとして否定的に評価していた。
「個人」が日本に入ってきたのは幕末で、当時は「単」「独」「単一個」「一」などと訳され、福沢諭吉は『文明論之概略』で「独一個人」と書いた。そこから「独」と「一」が落ち、「個人」となったのである。それまで、中国由来の人間は「じんかん」と読まれ、世間やこの世を意味していた。織田信長が好んで舞った「敦盛」の「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」も「人の寿命は50年」ではなく、「人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」が正確な意味である。
平野は前掲書で「私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。常に他者との相互作用の中にある。というより、他者との相互作用の中にしかない」と言う。そして「私たちは、日常生活の中で、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている」と。恋愛では「愛とは、(その人が好きというより)『その人といるときの自分の分人が好き』という状態」だとなる。死別シンドロームも、「あなたの存在は、他者の分人を通じて、あなたの死後もこの世界に残り続ける」と思うことで乗り越えられよう。それが供養の意味でもある。
和辻哲郎は、日本人が個人の主張をある程度抑制して自分が属する集団内の調和を第一に考える傾向を「人間(じんかん)」と呼び、浜口恵俊・国際日本文化研究センター名誉教授が「間人(かんじん)主義」を提唱したのも同じような考察からである。
かつて精神分裂病と呼ばれていた心の病を、日本精神神経学会が2002年に統合失調症に病名変更する事業にかかわった精神科医の高木俊介は、その後、京都に精神障がい者の在宅ケアを行う包括型地域生活支援プログラムを立ち上げ、看護師や作業療法士らと訪問医療を展開している。心の病は病院では治らない、治せるのは地域の中のわが家だと分かったからだ。
考えてみると、人は周りの人たちを吸収しながら、自分の人格を形成していく、つまり統合である。ところが、その途中でいじめなどに遭うとうまく統合できなくなり、自分を見失ってしまう。つまり程度の問題で、誰もが統合失調を抱えていて、現在、統合失調症の患者は100人に1人という。それを柔らかく受け止め、自分の居場所を見つけさせてくれるのが家庭や地域である。
教育現場においても、いたずらに個性を強調するより、他者との関係の中で好ましい自分を発見するよう指導するのがいいのではないか。そこから、社会に役立つ職業として、性格や能力に応じて自分らしさを発揮できる道を見出すことができよう。
さらなる進化を
分人が相対する他者は人に限らず、動植物など自然も大きな要素である。自然の中で遊びながら、私という人格が形成されてきたと思う人は多いだろう。だから、合理的に設計された都会ではなく、豊かな自然環境の中で育つ方が、子供の成長にとって望ましいのである。
提唱されて久しい地方創生や地域のSDGsも、人の成長を基準に見直される必要がある。イエズス会司祭で古生物学者のテイヤール・ド・シャルダンがキリスト教と進化論との統合を目指し、進化の頂点として極度に複雑化した「精神圏」を構想したように、人間の脳と社会はまだ未発達・未開拓の状態なのだから。