さぬきの麦作

2022年10月10日付 792号

 11月初めからうどん用の小麦をまくので、稲刈りが終わった田んぼの溝開けを進めている。トラクターの後ろに専用の機械を付け、回転する刃で深さ50センチほどの溝を開けていく。米は湿地を好むが、麦は乾燥した畑作なので、本来、同じ田んぼで育てるのは矛盾しているのだが、機械と汗でそれを可能にする。
 さぬきで麦が栽培されるようになったのは、五反百姓と言われてきた狭い田んぼを有効活用し、食料を確保するため。米は年貢で納めるため、農民の食事は麦が中心だった。
 中国山脈と四国山脈に南北を挟まれているため雨が少ないのも、麦作に適していた。さらに、瀬戸内海で出汁の素となる小魚が取れ、小豆島では江戸時代から醤油が生産されていた。金毘羅参りを描いた江戸時代の絵にはうどん屋があるので、当時からうどんは人々のファストフードだった。
 天地子の子供時代、近くに製粉所があり、小麦を持っていくとうどんに打ってくれた。田植えの合い間などに素早く食べるのだが、あまりおいしかった記憶はない。それに比べて、今のうどんははるかにうまい。セルフ店ではいろいろなトッピングが用意され、季節の味を楽しんでいる。今の時期ならイイダコの天ぷら。ほのかな甘みが、好みの固いざるうどんにマッチしている。さぬき人の舌がうどんを鍛えてきたのである。
 さぬきの夢2009は、圧倒的なオーストラリア産小麦に対抗して開発された新品種。地域の日常的な営みも、今はグローバル化の最先端にある。

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