『永遠なる序章』『美しい女』椎名麟三(1911〜73年)

連載・文学でたどる日本の近現代(29)
在米文芸評論家 伊藤武司

日本のドストエフスキー
 民衆の巨大なエネルギーを養分に出現したようなイメージが、椎名麟三にはある。1911年、私生児として姫路市の母方の納屋で生まれ、翌年、嫡子の身分を取得。『わが心の自伝』によれば、生後3日目に母親が自殺未遂するほど、父母の仲は不安定であった。その後、警察官だった大阪の父のもとへ母子で移るが、9歳の時に両親は別居。貧困のため中学を中退し、16歳で家出。家庭や故郷といった観念をもちえないまま、母が二度目の自殺未遂。出前持ち、コックなど職場を転々とし、社会主義思想に引かれていく。
 作家活動を始めると、不幸に身を沈める労働者の群像という著者の心象風景を反映した作品を発表する。共産主義者がしばしば登場するが、小林多喜二、徳永直、葉山嘉樹、宮本百合子のようなプロレタリア作家ではない。椎名の創作の原点はドストエフスキーとの遭遇にあり、その先にはキリスト教に飛翔する人生があった。
 『私のドストエフスキー体験』によると、椎名文学の本質は救済を求める「叫び」であり、『悪霊』からそれを習得したという。未来へとひたむきに進む自己の洞察と超克は、椎名の人生と文学を形成する基部で、それは創作テーマを求める実存的なうめき声でもあった。39歳で洗礼を受けた椎名は、「神に対してのうなり声だ」とキリスト教雑誌「指」に記している。
 主な作品は『深夜の酒宴』『重き流れのなかに』『永遠なる序章』『赤い孤独者』『邂逅』『自由の彼方で』『神の道化師』『美しい女』『その日まで』。作品のいくつかは映像化、舞台上演された。信仰を得てからの『無邪気な人々』を原作とする五所平之助監督作品『煙突の見える場所』は、ベルリン映画祭国際平和賞を受賞した。
 終戦前後の約10年、ドストエフスキー、ニーチェを読み漁り、戦後『深夜の酒宴』でデビュー。小説は「昔共産党員」で「刑務所」帰りの「僕」を主人公に、荒廃した社会の「昼間でも薄暗い」安アパートでのうらぶれた人々の暮らしと、「幽霊」のように実体のない主人公の「堪へがたい現在に堪へてゐる」絶望の「重い」生をつづっている。国民服の僕は銀座の露店で塗装用の刷毛を売っての生活。近所の子供が栄養失調で死に、「隣のお上さんも、もう死ぬだろう」と考える。共同炊事場で「昨日の残飯をフライパンで焼飯」にするが、「明日はもう米もないのだ」。
 戦後文学の代表作は埴谷雄高の『死霊』、大岡昇平の『野火』、武田泰淳の『森と湖のまつり』、梅崎春生の『桜島』、堀田善衛の『広場の孤独』、安部公房の『砂の女』など。そうした中で『深夜の酒宴』に注目したのは福田恒存。多くの読者を獲得する新人作家と期待を集めた。
 1948年、37歳での『永遠なる序章』は、ニーチェ、ドストエフスキー、ハイデガー、キルケゴールなどの影響が見られる長篇小説。決定的なのはドストエフスキーの小説作りで、『悪霊』を現代風にアレンジした小説である。大きな反響を呼び作家的地位を確保し、「日本のドストエフスキー」と呼ばれるようになった。
 刊行の年は、太宰治の入水事件が騒がれ、「死からいかにして人間は自由になり得るか」という実存的な問いを発信している。背景は戦後の影を落とす東京の街中で、主人公は「墓場の番人であるかのように見栄えのしない恰好」の砂川安太(あなた)。「機械油のしみのある復員服」姿で、肺と心臓の病をかかえ、義足の音を響かせる「死に損ない」である。末尾の一節は、「眼をとじたまま、苦しそうにうめきながら身をよじらせている」安太は「微笑をうかべながら、天を見ていた。しかしその後は、もうこの世には存在していなかったのである」。余命3か月を宣告された安太と元上官のニヒリスト・竹内銀次郎と女性のおかね、竹内の妹・登美子や山本秀夫が登場する。椎名文学の専門家・斎藤末弘の解釈によると、安太はスターヴローギンで、銀次郎はその分身。登美子はキリーロフ、秀夫はピヨートルで、それぞれニヒリズムと神、愛の分裂者、実存思想、金、唯物思想などを表徴している。『悪霊』のニヒリスト・スタヴローギンの究極的生を超克できるか、という「不可能の可能」性を試みた作品の評価は、文壇では高かったが、著者は「失敗」と考えている。

共産主義から実存主義へ
 椎名は実存思想を先取りした一連の作品で注目され、若い世代から歓迎された。中島健蔵は「現代の烙印を、もっとも明瞭にあらわしている新しい作家」と評し、瀬沼茂樹は「戦後文学の一方の旗手たる地位を確保」したと述べた。『永遠なる序章』の舞台は、お茶の水、新宿、中野。生きる意味に疲れ、自殺を思い浮かべる無気力な安太は電車の「検車係」。くだらない世の中を軽蔑しながら無為に過ごしている銀次郎は共産主義者。登美子は神を信じないが聖書を読むと「感動」を覚え、罪のような感覚から「救われた気」がするのであった。明日死ぬかもしれない安太は「自分には神はない。自分の死を超える可能を信じ得ない者は、もう全く無意味なのではないか」とつぶやく。また「自分は今日一日を、生き、そして生活した。瞬間瞬間に、死を生き無意味を生活した。まるで死と無意味が、自分を行為へ緊張させる情熱であり、しかも瞬間々々に、生きる力を汲みとらせて呉れる無限に豊かな泉であるかのように」。やがて労働者が「インターナショナル」を歌いデモを始めるとそこに主人公の姿があった。
 『赤い孤独者』は、人間における決定的な条件を探った実験小説。革命に走る党員たちと別個に、主人公の長島重夫は単身で活動する「赤い孤独者」。共産主義を標榜しながら次第に運動の現実につまずき、失望感を覚え、結局、矛盾をかかえながら「最も愚劣なる…日常を愛する」ことしかできないのだ。一方、キリスト教会に通う偽信者もいて、思想と宗教の間で苦闘している筆者の様がうかがえる。主人公は射殺され、撃った人間も自殺するという虚無的な結末となり、椎名は失敗作だとした。かねてから椎名文学に精神の崩壊と、太宰に類した魂の瓦解を感じていた亀井勝一郎は、本作をその典型だと説いている。
 椎名の強味は思想的表現と自己省察、生の呼吸の感じられる筆致にあり、思わず感情移入してしまうのも人物描写が優れているから。貧しい労働者・新奇な人々が、少数の知識人ブルジョワを圧倒して作品の地平に並ぶのも特徴である。自殺や人殺し、変死、病死などの極端な観念が度々表出するのも異様だが、狭心症をかかえた本人にとって死は身近な事柄であった。
 共産党に入党した椎名は、マルクスやレーニンの著作に接し、非合法の組合活動で20歳の時に逮捕される。独房で読んだニーチェの『この人を見よ』に衝撃をうけ、「マルキシズムに徹しきれない」「脱落」感から、形ばかりの転向をして出所。以降、筆耕の仕事をしながら、作家を目指すようになる。転向作家には中野重治や島木健作、林房雄、亀井勝一郎、高見順らがいるが、椎名にはそうした意識はまったくなかった。時代に巻きこまれた不運や、刑事につきまとわれ、特高の拷問をうけたにもかかわらずである。難渋で抽象的な文章スタイルが、スムーズで平易なものに変容するのは、キリスト教との出会いがあったから。それは生涯最大の転換期なのだが、作品の調べは処女作から、ニーチェの反キリスト的な無神論を押しとおしてきた。
 長篇『邂逅』を創作中、椎名は苦しみのただ中にあり筆がまったく進まなかった。心身は憔悴し絶望の淵へ追いつめられた極限状態で洗礼を受けたのである。授洗者は、赤い牧師として有名な赤岩栄。『わが心の自叙伝』によると、「信じられないままにイエス・キリストへ自分の存在を賭けた」という。49歳の講演『わたしの人生観』の傍題は「コミュニズムからニヒリズムを通じてキリスト教への転向」で、共産主義にも実存主義にも失望し、パスカルの『パンセ』の賭けのように、「神なんか信じられなかった」自己のすべてを神に委ねたのである。信憑性を疑っていた聖書も、ルカ伝のイエスの復活物語をいくどか読むうちに、恩寵体験をしたことが遺稿文『「復活」へたどりつくまで』につづられている。

キリスト教への飛翔
 新境地で誕生した『美しい女』は、生涯で最も充実した46歳の作。明るく平明、ユーモラスに彩られた作品は話題となり、ラジオでドラマ放送され、芸術院賞を受賞した。
 関西の私鉄で30年近く働いてきた47歳の主人公が、生い立ちから回想する長い手記である。職場では「憎むに憎めない」、滑稽で「おかしなひと」で通り、仕事に対する「おかしな真面目さ」が仲間の笑いをさそう。「この世のなかには、唯一絶対の、だからほんとうのものなんかありはしない」と考えている彼の、唯一の確かな事実は、勤務を終え、いきつけの小さな店で「焼酎を飲んでいるとき」に、「心に痛切にうかんで来るのは、美しい女への思いだった」。その「美しい女」を思うと「眩しい光と力にみたされ」るのだ。主人公は職場の雑事、仲間たちとの喧噪、人生に敗北した女たちとのかかわり、果てることのない夫婦の葛藤や妻の失踪もくぐり抜けた。過激なビラが職場に撒かれたときも、「死と暴力のにおいだけを感じさせるだけ」で、戦争で赤紙が来た時には仮病をかたって逃げた。わずらわしい社会で「勤務をせい一杯真面目に」こなし、「人生を愛し、妻を愛し、電車を愛して」生きてこられたのは、ひとえに「やさしげな視線」をなげかけてくれる「ほんとうの美しい女がいたから」なのである。
 思い憧れる「美しい女」は、「人間の考える絶対を超えた超絶対的」な存在である。「眩しい光と力そのもののような」神に近いイメージの人格体が「おかしな自分から救い出してくれる」と疑わない。同世代のキリスト者として遠藤周作は『椎名麟三論』で、この「微笑」を、「我々を憐むような、神秘的な自信さえ込めた微笑」だという。処女作以来、椎名の小説には死のイメージがつきまとうにもかかわらず「微笑」や「笑い」の語彙が散りばめられ、本作でも「ほんとうの美しい女」が主人公の「心の中に生き」始めると、「やさしく笑っているのを感じ」させる。
 佐古純一郎は、主人公に託して語らせた「ほんとうの美しい女」の実相が、著者が求め続けてきた「ほんとうの自由の具象的な形象」だと分析する。長い彷徨の末「心に熱と充実をもたら」し、「十分な生きる意味」を与えてくれる「ほんとうの自由」の境地に立てるようになったと。
 人生には良いときも悪いときもあり、浮き沈みをさりげなく受けとめ、明るいユーモアを忘れない律儀な苦労人が椎名麟三と言えよう。前半は、いわゆる進歩的陣営での動きが主だったが、後半の人生はYMCAや大学、教会での講演、キリスト教系雑誌への投稿、また、遠藤周作、佐古純一郎、武田清子らキリスト者たちとの交わりが増えていった。
 生と死の問題を正面に見すえ「ほんとうの自由」を追跡するようになった椎名は、作家仲間やキリスト教界の人々の間でごく自然なふるまいを見せていた。絶望の作家からキリスト教の作家へと変身し、いかなる事態に遭遇しても「自分の運命を愛すること」のできる人間となったが、61歳で早い死を迎えた。
(2022年8月10日付 790号)