八合目で太子奉賛の法要

門徒らが聖徳太子像富士登山/富士吉田市・如来寺

富士山八合目で聖徳太子像を祀り法要する如来寺の一行

 快晴、炎天の8月3日、山梨県富士吉田市の浄土真宗本願寺派如来寺(渡辺英道住職)は12回目となる恒例の「聖徳太子像富士登山」を行った。参加したのは同寺門徒ら14人。82歳から10歳までで、うち女性が4人の一行は、遠く八ヶ岳を望み、眼下に山中湖や河口湖を眺めながら険しい岩肌を登り、八合目の山小屋・太子館近くで、聖徳太子を奉賛する一座法要を営んだ。通りがかった登山客も焼香に参加するなど、黒駒伝説ゆかりの地で太子の遺徳をしのんでいた。
 この行事は、同寺にある聖徳太子の騎馬銅像を富士山八合目まで運び上げ、江戸時代の富士講のような一座法要を執り行う仏事。平成21年に同寺檀家の郷土史家が復活を呼び掛け、門徒や関係者の協力で実現、以来、コロナ禍で山小屋が閉鎖になった令和2年を除き、毎年実施している。
 早朝、同寺に集まった一行は午前5時半から同寺本堂で朝のお勤めで「讃仏偈」を唱和。6時にマイクロバスで出発し、富士山五合目に到着。そろいの法被をまとった一行は、金剛杖を手に7時半、富士吉田口から登り始めた。今回、運び上げた銅像は聖徳太子のみで、荷を軽くするため黒駒と手綱を引く調使麿は寺に残した。
 五合目から六合目にかけては樹木が茂る山道が続き、次第に高山植物だけの風景になり、七合目からは険しい岩場が続く。太陽が容赦なく降り注ぐので汗が背中ににじむ。それでも時折、下界から霧が吹き上げてきて、肌を冷風がなぞってくれる。
 最年少の渡辺龍真くんは住職の孫の小学5年生、新婚の娘夫妻も参加した。地元FM局などで活躍している富士山の旅芸人・忍者Fujiyamaの染谷剛さんはハーモニカで「ふじの山」を演奏、一行は「富士は日本一の山〜」と歌いながら元気に山道を登った。
 一行は午後1時に八合目にたどり着き、山小屋「太子館」横の広場にテーブルで仮の荘厳壇(しょうごんだん)を設営して太子像を安置、花を供えた。渡辺住職と副住職の先導で一同が「太子奉讃」を読経し、厳粛に法要を営むと、外国人登山者たちも珍しそうに見守っていた。
 聖徳太子騎馬像は220年前、如来寺が懇意にしていた江戸の富士講から寄進されたもの。古来、富士山は信仰の山で、山開きの期間、八合目に像を祀り、登山者が拝めるようにしていた。古代、太子が愛馬の黒駒に乗ると、あれよあれよという間に富士山に駆け登り、八合目で、大日如来がいるという頂上に向かいお参りしたという。

聖徳太子が仰いだであろう富士山頂

 富士山は神仏習合の山で、一合目から八合目まで、いろいろな宗派の寺が活動していたが、明治の神仏分離令で寺の堂宇や仏像が壊され、如来寺の祠も壊された。如来寺では故事を平成21年に復活し、八合目で一座法要を営み、太子のご恩に感謝してきている。
 浄土真宗の宗祖親鸞は、仏教受容に決定的な役割を果たした太子を「和国の教主」と呼び、崇敬していた。法難で配流された新潟から茨城に移り、布教していた親鸞が太子の足跡を慕って甲州を訪れたことから、当地一帯に真宗が広まったという。それまで真言宗だった如来寺も、1228年に浄土真宗に改宗している。
 法要を終えた一行は、太子館で昼食の後、下山。マイクロバスで7時前に如来寺に帰り、夕食を囲んで懇談のひとときを過ごした。