宇治平等院鳳凰堂

連載・京都宗教散歩(10)
ジャーナリスト 竹谷文男

平等院鳳凰堂前景

 琵琶湖から流れる宇治川のほとりにある平等院の鳳凰堂は京都市の南、風光明媚な水運の要衝にある。平等院は、平安時代の摂政・藤原道長の別荘だったものを、子の藤原頼通が、永承7年(1052)に鳳凰堂として改修したもの。極楽浄土をこの世に出現させたいという思いからだった。
 飛鳥時代に日本に入ってきた仏教は国家鎮護を目指していたが、平安期には、飢饉、戦乱、疫病等が続き、釈尊の入滅から2000年目以降に仏法が廃れる「末法時代」に入るという不安が広がっていた。そのため、人々は仏教に救いを求め、死後は浄土に生まれ変わることを願う「浄土思想」が広まった。平等院が創建された1052年は、末法元年に当たると考えられ、人々は西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来に救いを求めるようになっていった。
 『観無量寿経』の一節には、「極楽浄土に生まれることを欲する者は、先ず丈六の仏像が池の水の上に在ることを心の中に思い浮かべよ」と書かれている。頼通は、鳳凰堂を池に面して建てて浄土式庭園を見渡せるようにし、当時最高の仏師だった定朝の代表作である丈六の阿弥陀如来像を安置した。庭から池越しに鳳凰堂を眺めると、安置されている阿弥陀像が水の上に座っているかのように見える。この景観を見れば人々は、如来が水の上に座っている姿を心の中に思い浮かべたことであろう。貴族たちは池に映る阿弥陀如来を拝しながら時を過ごし、庶民もまた池越しに鳳凰堂と水の上にある如来像を見て浄土に生まれ変わることを願った。

鳳凰堂にある定朝作阿弥陀如来像

 平等院の名は頼通が京都の岡崎にあった平等院の名を譲ってもらい、「宇治の平等院」としたのが始まり。そして天喜元年(1053)、本尊を大日如来として阿弥陀堂(現・鳳凰堂)を建立した。
 鳳凰堂を上から見ると、中堂と、左右に両翼廊2棟、そして後ろに尾廊が連なり、あたかも鳥が尾を伸ばして両翼を広げたかのような珍しい造りである。また平等院にある梵鐘(国宝)は、全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りが施された「天下三名鐘」の一つ、「姿、形の平等院」と呼ばれている。他の二つは「音の三井寺」「銘の神護寺」である。
 当時の貴族たちは極楽往生を願って仏堂を盛んに造営したが、それらの中で、建物・仏像・壁画・庭園まで含めて残存するものは平等院だけである。壱万円券裏面には鳳凰堂の屋根に置かれた鳳凰像が描かれ、十円硬貨表面には鳳凰堂の前景が浮き彫りにされている。
 要衝の地にあった鳳凰堂は多くの戦乱に巻き込まれたが、冠した不死鳥の名のように、不思議に焼失を免れてきた。例えば承久の乱(1221年)では鎌倉幕府軍の大将である北条泰時、北条時房の本陣が置かれ、付近で合戦があった。南北朝時代の建武3年(1336)1月の戦いでは、足利尊氏と楠木正成の合戦に巻き込まれ、鳳凰堂以外ほとんどが焼失した。また山城国一揆(1485年)の時には、南山城の国衆や農民たちが入り込んで、一揆の評定を行った。
 鳳凰堂を建てた頼通の浄土信仰は、父の道長譲りのものだった。道長は「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠むほど権力の絶頂にいたが、文学を愛好し、紫式部や和泉式部などを庇護した。『源氏物語』の愛読者であり、紫式部の局にやってきては原稿を催促したという。自分に似た策略家の貴公子が登場するのを楽しみにしていたのは、主人公光源氏のモデルの一人だったからとも言われている。
 道長はしかし、仏教への帰依が深く、京都の鴨川の西に壮麗な法成寺を建立した。そして、死に際しては、法成寺にある九体の阿弥陀如来像の手と自分の手とを五色の糸でつないで、釈迦の涅槃と同様に北枕西向きに横たわり、僧侶たちに読経をさせながら自身も念仏を口ずさみ、西方浄土に生まれ変わることを願いながら往生したといわれている。

屋根に立つ鳳凰像

 では道長は、願い通りに極楽往生できたのだろうか? 平安時代の仮名文による歴史書『栄華物語』には、道長が夢に現れた人の証言が描かれている。それによると道長は夢の中で「極楽の『下本下生』に生まれ変わり、それで満足である」と語ったという。極楽には上本上生から下本下生までの九段階あり、下本下生は極楽では最も下位である。しかし、それでも道長は満足だと話したという。
 平安時代は華やかな国風文化が花開く一方で、人々は末法の世の苦しみから逃れて極楽往生したいと願っていた。この願いに応えようとした平等院などの仏教芸術は、人々の無常観、終末観をさらに深めた。この流れは法然が唱えたように「凡夫の自覚、弥陀の本願」をもとに万人は口称念仏によって救われるという革新的な教えを生むことになった。日本独自の鎌倉仏教へとつながる浄土思想を民衆に広めた鳳凰堂は、戦乱の世にあっても冠する不死鳥の名のように焼失を免れ、救いへの願いを訴えるかのように建っている。
(2022年8月10日付 790号)

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