【映画紹介】オードリー・ヘプバーン

 「ローマの休日」(1953)「ティファニーで朝食を」(1961)「マイ・フェア・レディ」(1964)など、主演した数々の名作で世界中に知られる往年の大女優、オードリー・ヘプバーンの知られざる生涯を描いたドキュメンタリー映画。

 オードリーが6歳の時に両親が離婚し、父親が家を出てしまった。貴族の家柄であった母親と共にオランダに移り住んだ幼いオードリーは、第2次世界大戦中は日々の食事さえ満足にできない少女時代を過ごした。ナチス・ドイツに占領されていたオランダは自由の一切ない社会となっていたが、そのような中でもナチスの目を盗み、人々の娯楽の為、オードリーは踊りと芝居でもって人々を慰め、喜ばせるようになった。1945年にナチスから解放され、飢えに苦しんでいたオードリーたちにたくさん食料を持ってきてくれたのは連合国救済復興機構(UNRRA、ユニセフの前身)の人々だった。この幼い頃の経験が後のオードリーの人生に影響を及ぼすようになる。

 1954年にアカデミー賞主演女優賞を受賞し、女優として成功を収めたオードリーであったが、本当の意味で幸せな人生を送ることはできなかった。父親のような愛情を求めて結婚した最初の夫、メル・ファーラーとの結婚生活は破綻し、2人目の夫、アンドレア・ドッティとも離婚してしまう。しかし、自分が不幸であったとしても、それを人前には見せず、オードリーはいつも家族や友人たちには、温かく優しく、そして気さくに接していた。

 オードリーが58才の時、縁があって、ユニセフの活動に参加するようになった。エチオピアで飢餓に苦しむ子供たちを目の当たりにして、この子たちのために自分の人生を捧げようと決意する。オードリーは、自分を理解してくれるパートナー、ロバート・ウオルダースと共に、ユニセフの親善大使として世界中の飢えで苦しむ子供たちの為に奔走し、忙しくも幸福で充実した人生を送るようになるのだった。

 オードリー・ヘプバーン自身の力強い肉声、オードリーの長男、ショーン・ヘプバーン・ファーラー、家族ぐるみの友人らのインタビュー映像も交えながら、オードリー・ヘプバーンの生きざまを伝える。

配給:STAR CHANNEL MOVIES 協力:(公財)日本ユニセフ協会

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5月6日(金)よりTOHOシネマズシャンテ、Bunkamura、ル・シネマ他全国ロードショー

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