偉大な明治から成熟した昭和へ

昭和の日をお祝いする集い/東京都千代田区

記念講演をする文藝批評家の新保祐司氏

 4月29日、東京都千代田区の星陵会館で「昭和の日をお祝いする集い」が同実行委員会主催で開催された。緊急事態宣言が出されているため一般参加を取りやめ、役員ら約70人が集まり、インターネットで全国に中継された。
 奉祝式典では、国歌斉唱、宣言朗読の後に大原康男・実行委員会代表が主催者として「半世紀以上の御在位を通じ国及び国民の統合の象徴として尽力された昭和天皇の御足跡を偲びつつ、祖国日本のさらなる平安と隆昌を願う日をお祝い申し上げる」と挨拶。
 来賓挨拶では、自民党組織運動本部団体総局長の谷公一衆議院議員が「安全、安心で記憶に残り、希望の灯となる東京オリンピック・パラリンピックの実現に取り組み、ポストコロナの未来を切り開き、昭和の日を受け継いでいく」と、明治の日を実現する議員連盟の山田宏参議院議員は「20世紀は共産主義との闘い、人種平等への闘いという世界史的な意義があった。自民党では65名の明治の日実現議連を立ち上げ、各党で素地づくりをしていく。昭和の日をお祝いしながら明治の日へとつなげていきたい」と祝辞を述べた。
 記念講演では、昭和天皇の侍従長だった中村賢二郎・杉野学園理事長と、元宮内庁書陵部編修課長で昭和天皇記念館副館長の梶田明宏氏のインタビュー映像が流され、昭和天皇の人柄と御聖德を紹介した。続いて、文藝批評家の新保祐司氏が「明治七十年代としての昭和十年代」と題し次のように講演した。
 北原白秋作詞、信時潔作曲の交声曲「海道東征」は何度聞いても感動し、特に「雄たけびぞ、弥栄を我等」の大合唱では思わず涙があふれてくる。昭和にこの曲があったのは奇跡としか言いようがない。北原白秋はこの叙事詩を書くことによって、近代日本最大の詩人に達した。ホメロスの「イリアス」のように詩は本来叙事詩で、民族の歴史を謳い上げるのが詩人の最高の役割だ。叙事詩に遠かった白秋が叙事詩を書いたことに、人間の役割の不思議を感じる。神によって選ばれたのかもしれない。しかし、この曲は戦後レジームの中で長く封印されてきた。
 その理由は「海ゆかば」を作曲した信時潔の作品だからで、私は産経新聞4月16日号の正論に「戦没者追悼式に『海ゆかば』を」と題し、「戦前に『君が代』以上に歌われ、第2の国歌とも言われた『海ゆかば』は普遍性を持つ音楽で、大伴家持の長歌の一節から成る日本の防人たちの永遠の鎮魂の曲だ。日本の『アメイジング・グレイス』とも言えるこの曲を国粋主義に偏らない曲と受け止められる成熟した時代になるべきだ」と書いた。
 明治の精神は大正を経て昭和10年代に蘇った。美術では、黒田清輝の洋画導入に始まり、梅原龍三郎、安井曾太郎などの油絵に達し、日本人の「洋画」になった。文学では、中村光夫は著作『明治、大正、昭和』で、「昭和10年代は大変厳しい苦難の時代であるにも拘わらず、文学だけはいい作品が多い」と述べ、谷崎潤一郎の『細雪』、永井荷風の『濹東綺譚』、徳田秋声の『仮装人物』『縮図』などを挙げている。
 厳しい状況にも拘わらず精神は偉大なことをする時があり、今も苦難の中で、日本人の精神と文化が深まることを期待したい。
 昭和10年代に文化が成熟したのは明治が偉大だったからで、日本の暦には「昭和の日」に加え「明治の日」が必要だ。 「明治節」が「文化の日」に変えられたのも戦後レジームの一環で、これを「明治の日」に戻すことで戦後レジームから脱却したい。