今こそ光明皇后の慈愛を

法華寺の樋口教香門主に聞く

法華寺浴室の前で樋口教香門主

 コロナ禍で注目されているのが奈良の法華寺。同寺は奈良時代、光明皇后が父藤原不比等の邸宅跡に建てた皇后宮を寺に改め、法華滅罪之寺と称したのが始まり。仏教による国づくりを目指した聖武天皇勅願の東大寺が総国分寺として建立されたのに対し、皇后ゆかりの法華寺は総国分尼寺とされた。皇后は同寺を女人成仏の根本道場とし、尼僧の仏学研鑚を勧め、女人成仏の規範を示した。当時の寺域は今の数十倍で、法華町全域に及んでいたという。
 近刊の光明宗法華寺編『光明皇后御傳 改訂増補版』には皇后の事績が次のように記されている。
 「皇后は、病に苦しむ人々の救済のために医療施設として施薬院を作り、貧しい人や病人・孤児など自存不能の人に憐みを施せば福果を得られると悲田院を設けた。さらに皇后は浴室で誰彼の別なく人の背中を流しているが、ある時、皇后は懶病者の入浴者も差別なく背中を流し、体の各所から出ている膿汁をご自身の口で吸い取ろうとすると、病人の体から突然出た黄金の光が浴室を照らした。病人は阿閦仏であったという。もとより伝承であるが、皇后の慈善事業の姿を伝えている」
 同寺では10月24日から11月10日まで、皇后の姿を映したとされる本尊の国宝十一面観音菩薩像などが特別御開帳され、奈良国立博物館では10月24日から11月9日まで、皇后が病人に分け与えるために東大寺に献納した薬物などが出陳された第72回正倉院展が開かれた。薬物は平城京の人口の5分の1もが失われたという疫病との闘いを伝える品として入館者の関心を集めていた。そんな秋空の一日、法華寺を訪ね、樋口教香(きょうこう)法華寺門主に話を伺った。
 ──コロナ禍でいかがですか。
 法華寺では毎年4月1日から7日まで光明皇后の大遠忌法要をしています。各地の尼僧さんたちに「こんな時だけど来られる?」と聞くと、「こんな時こそ行かないと」と言うので来てもらい、家元の献茶は見送り、拝観者は制限して行いました。
 法華寺には定期的にお参りされる病気持ちの方がいて、年配の方が電車とバスで来られているというので危ないと思い、お手紙を差し上げて、4月中頃から参拝中止にしました。東大寺なども一斉に閉めましたから。その後、6月1日から再開しています。
 ──法華寺にはから風呂(浴室)で光明皇后が千人の垢を流したという伝説があります。
 毎年、から風呂を焚いて、寺の会員の皆さんに入ってもらい、遺徳をしのんでいますが、今年はコロナの影響で出来ませんでした。奈良時代はお風呂がなく、病院もありませんでしたので、汗を出して悪いものを出すようにしたのです。薬草を焚きしめた蒸気風呂なので、汗をたくさんかいても、サウナと違い肌はさらさらして、長い時間いても苦しくありません。やさしいお風呂で気持ちよくなります。
 ──光明皇后の伝統は明治になり、昭憲皇太后の赤十字活動などに受け継がれました。
 歴代の皇后にとって慈愛に満ちた光明皇后は鏡で、昭憲皇太后は赤十字も皇后の仕事として始められたとうかがっています。私は光明皇后は、日本の社会福祉の第一人者だと思います。世界にナイチンゲールやマザーテレサらがおられるように、日本には1300年前に光明皇后がおられた。これは大変重要なことです。(4面に続く)