秋空のもと近江神宮御鎮座記念祭

天智天皇の政に思いを寄せ/滋賀県大津市

「清和四條流包丁式献納の儀」=11月7日、滋賀県大津市の近江神宮

 秋空が広がり少し肌寒さを感じる11月7日、滋賀県大津市の近江神宮(佐藤久忠宮司)で御鎮座記念祭が斎行された。
時刻になって参列者、宮司以下祭員が入場し、所定の座に着き、修祓が行われた。宮司一拝に諸員がならい、御扉が開かれた。権宮司以下神饌を供し、続いて「献納の儀」が行われた。まずは「むべ献納の儀」、次に「創美流献華式の儀」、最後に「清和四條流包丁式の儀」が見事に神前に献納されていった。
 宮司が祝詞を奏し、神礼拝受者が玉串を奉り拝礼、続いて参列者も玉串を奉り拝礼した後、神礼頒布の儀が行われた。権宮司以下が神饌を撤し、宮司が御扉を閉じて本座に復され、宮司一拝に諸員がならい、祭祀は滞りなく修められた。
 佐藤宮司は挨拶で、「本年は4月1日、令和の元号が発表され、5月1日に天皇即位がなされ、10月22日に『即位礼正殿の儀』が行われた。元号の始まりは大化で天智天皇様の時代に初めて制定された。それから切れ目なく連綿として続き、世界に稀な日本の文化としても継承され現代に至っている。この14日には大嘗祭が執り行われ、おおよその天皇陛下の大きな行事が終わり、新しい令和の御代を迎え新しい日本の将来を展開することになる。令和元年を迎え、天智天皇の政務がいかに深いものであったかを常々感じさせられ、近江神宮も日本と世界に対するお勤めは如何にあるべきか、大変な重い責任を感じている」と語り、1350余年前、天智天皇が日本の危機を感じ近江に都を移し、当時日本国の土台を命懸けで築かれた日本創建の大御心を顕彰し、この時に多くの人が力を発揮できるようにと祈念した。
 近江神宮の御祭神は第38代天智天皇(天命開別大神)。鎮座は昭和15年11月7日で、歴史としては新しい神社であるが、天智天皇が667年に奈良の飛鳥から近江に遷都した近江大津宮跡地に鎮座したことと、天智天皇に関する伝説や神社が残されていることから、大津宮遷都1350年以上の歴史にもとづく神社と言われる。一昨年の大津宮遷都1350年祭の鎮座記念祭では、今回の「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」の開会冒頭で、古事記「天地創造」の映像にも用いられた画を描いたマークエステル画伯を迎え絵画奉納式も行われた。
 全国に16社ある勅祭社の一つであり、4月20日の例祭(近江大津宮遷都記念日)には、天皇陛下の御名代として毎年宮中より勅使が派遣される由緒ある神宮である。天智天皇の御製が小倉百人一首の巻頭に置かれることで歌かるたの祖神としても仰がれ、最近は毎年開催される競技かるたが漫画や映画でも取り上げられ、「ちはやふる」の映画の撮影現場にもなったことで、若い人も数多く訪れている。
 境内には時計宝物館が設けられており、漏刻(水時計)と日時計も設置されている。これは天智天皇が漏刻(水時計)をもって日本で最初に時報を始めたことによる。これが6月10日であったことから「時の記念日」もこの日に定められている。毎年6月10日には、「漏刻祭」が斎行され、近江神宮を時の祖神として崇敬する時計関係者が参列する。その他にも日本書記に燃水(石油)、燃土(アスファルト)が天智天皇に献じられたことが記されており、この燃水(石油)が文献に出てくる初見であり、7月初旬には「燃水祭」も斎行される。
 このように近江神宮は天智天皇の日本国家創建の事績を記念した祭祀が多く、全国から多くの崇敬を集めている。