神の使い

2019年7月10日付

「『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」(黙示録3:20─22)
 父祖アブラハムは、通り過ぎようとされる神の使いを呼び止め、家に来てくださることを願った。その招きに応えた神の使いは、その家に留まり、時にふさわしい神のことばを伝えた。アブラハムはそのことばを受け入れ、神の摂理を進める責任を担った。
 それから二千年後にも、通り過ぎようとした神の子イエスを呼び止め家に招いた貧しい弟子がいた。
 創造主なる神様は人類の行くべき方向を示される。人類が暗闇の中であえぐ時、燈火をかかげたみ使いを送って下さる。ただ、通り過ぎようとされる神の使いに気付き、呼び止め、迎え入れることができるかは、私自身にかかっている。(I)