イスラム教の長所と短所

カイロで考えたイスラム(18)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉

 カイロに長く暮らしていると、イスラム教の長所と短所について考えることが多くなる。概して、長所は短所に、短所は長所になり得るので、それぞれが両面性を備えていることを前提に、表面化した事象をそのまま捉えてみたい。最初は、イスラム教の聖典コーランが神の啓示によるとの考えについてである。
 その長所は、イスラム教徒が、コーランが天使ガブリエルを通して預言者ムハンマドに与えられた神の啓示だと信じ、そう信じる人がイスラム教徒だということである。イスラム教徒がそう信じる理由は、ムハンマドが読み書きが出来なかったことにある。そんな無学な人間が、あの朗々とした、しかも韻を踏み、音調も見事なアラビア語を話すことが出来たのか? これらの文章は、ムハンマドから出たものではなく、神から出た言葉に違いないという論法である。
 アラビア語を知らない日本人には理解が難しいことだが、アラブ人にとって、ムハンマドが受けた啓示は、奇跡的に美しく、整った、完璧なアラビア語で、しかも音調美しく感動的である。通常のムハンマドからは絶対に発せられない章句の連続だという。
 井筒俊彦氏も著書『イスラーム思想史』の中で、布教当初、敵対する人々に対しムハンマドは「これに匹敵するような文言を一つでも創ってみるがよい」と呼びかけるのが常だったと指摘している。「それ以上に美しい響きを持つ文を創ろうと試みたが、誰一人として成功する者はなかったという」とも書いている。
 神からの啓示ということが大きな長所となり、歴史を越え、地域を越えて多くの人々に広まったことは事実だ。カイロで会ったカイロ大学やアズハル大学の学生たちも同様のことを強調し、アラビア語で啓示を受けたことに大きな誇りを持っていた。韻を踏んだ美しい音調を伴った章句の一つ一つが、彼らにとって、コーランが神の言葉だと確信する最大の拠り所となっている。ムハンマドの教えの絶対性を説明するに際し、神から啓示された宗教だと主張できることは大きな長所である。カイロで一緒に仕事をした女性は、コーランを自宅の家の一番高い場所に置き、常に崇めていた。
 しかし、長所は短所にもなり得る。「啓示ゆえに絶対だ」という主張は、偏狭で、排他的で、他を受け入れない硬直した姿勢に陥る可能性がある。国際テロ組織アルカイダや、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)などの思考形式はその典型と言えよう。事実、ISは支配地域での過去の教育を全否定し、コーランのみを教科書として教えていた。
 そもそも啓示はムハンマドにのみ下されたものではない。預言者とは「神からの言葉を預かった人々」の意味で、預言者の言葉は基本的に神からのものとされる。コーランには24名の預言者が挙げられている。偉大な預言者とされるのはアダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドの6名で、ムハンマド自身も彼らを預言者と認めている。そしてムハンマドは最後最大の預言者とされている。
 イスラム教は、聖書のモーセ五書(創世記から申命記まで)と四福音書(マタイによる福音書からヨハネによる福音書まで)、詩編を啓典(神から啓示された書)と認めており、旧約聖書を聖典とするユダヤ教徒と旧・新約聖書を聖典とするキリスト教徒を「啓典の民」と呼び、多神教徒や無神論者と区別している。
 とすれば、コーランだけが神からの啓示としなくていいのではないか。中山みきが憑依状態の中で天啓を受けたのが始まりとされる天理教も、イスラム教のように神からの啓示による宗教と言えよう。啓示宗教は歴史上数多く存在し、イスラム教だけが特別で絶対的な宗教であるとの論理は怪しい。啓示にこだわることの短所はそこにあると思う。
 あるイスラム教徒のエジプト人男性によると、イスラム教徒がコーランを大切にする理由の一つは、アラブ民族にとってコーランは歴史上初めて民族が受けた啓示で、しかもアラビア語で受けたことが重要だという。それまでの啓示はみな、アブラハムの次男イサクの血をひくイスラエル民族に下されたもので、アラブ人の祖であるイシマエル(アブラハムとエジプト人女性ハガルとの間に生まれた長男)の血統に下された啓示はこれが最初で最後のものだからだと。イスラエル民族には多くの預言者が遣わされたのに、アラブ民族にはムハンマド以前は誰も与えられなかったことに対する寂しさ、待望感があったのだとも話していた。
 なお、神からの啓示ならば、内容に矛盾があってはならないはずなのに、コーランにはかなり矛盾する内容があるとされる。井筒俊彦氏は『イスラーム思想史』で「コーランは論理的に見れば矛盾に満ちている」とし、「コーランは明らかに根本的非論理性を露呈する。コーランによれば預言者の抱いていた信仰教義の大要はわかるが、少しく細部にわたると、それは様々の矛盾に満ちていて、機械的に全てをそのまま信じて疑わぬ者はいざ知らず、幾らか物を考えようとする位の人は、その信仰の内容、信仰の強調点について、しばしば、去就に迷わざるを得ないようなことがあった。かくて比較的早期から、この断片的で不統一なコーランの教えを何とか纏め上げて、論理的に欠けるところの無い渾然たる一組織としようとする試みがなされ始めた」と書いている。もっとも、これがイスラム神学の始まりともされている。スーフィズムが公認された12─13世紀にはスーフィー教団として発展し、カーディリー教団やメヴレヴィー教団、リファーイー教団などが有名になり、現在に至っている。13世紀以降は、ほとんどのイスラム教徒がいずれかの教団に所属し、信仰の内面はスーフィー教団から、信仰の外面は法学派によって支えられるようになった。
 スーフィズムは、どの宗教も神との合一という同じ目標を持っていると考え、鷹揚なことから他宗教に非常に寛容で、キリスト教や仏教、ヒンズー教などの外面はあまり気にしていない。また、多くの国で聖者廟への参詣が熱心に行われている。
 青柳氏は、「とはいえ、現在のスーフィズムは、社会・経済・政治の大きな勢力となっていない」と指摘している。
 エジプトやトルコなどでは観光客にスーフィーダンスが、ベリーダンスと共に伝統的な文化の一部として紹介されている。
(2019年8月10日付754号)