主を畏れることは知恵の初め

2023年2月10日付 796号

  「主を畏れる者は、このように行い/律法に精通する者は、知恵を捉える。知恵は、その人を母のように出迎え/新妻のように迎え入れてくれる。知恵は、彼に分別のパンを一口ずつ食べさせ/知恵の水を、飲ませてくれる。知恵に支えられれば、揺らぐことはなく/知恵を頼りにすれば、恥をかくことはない。
 主の知恵は豊かで/その力は強く、すべてを見通される。主の目は、ご自分を畏れる人々の上に注がれ/主は、人間の業をすべて見抜いておられる。主は誰にも、不信心であれとは命じられず/誰にも、罪を犯す許しを与えられなかった。」(シラ書〔集会の書〕15:1─4、18─20)


 ヘレニズムとヘブライズムが正面で対峙する時代に生きたイスラエルの民は、信仰と理性の調和を試みた。創造主を畏れ敬う者は、その方がはじめに立てた理法の探求にも心砕いた。彼らは自然の秩序の中にも、創造主の御手を読み取り正しい生き方を悟った。信仰者の人生観は広大な宇宙の体系を掴むところから始まる。彼らは子らに諭す。「主を畏れることは知恵の初め」。