3年ぶり安倍晴明祭/京都市

神輿3基が西陣を巡行

安倍晴明公の銅像のそばで参拝

 平安時代の陰陽師として有名な安倍晴明公を祀る京都市上京区の晴明神社で、秋の大祭・神幸祭が秋分の日の9月23日、斎行された。午前10時に氏子奉賛会や講社員などの参加で例祭が始まると、雨足が強まり、雅楽の調べと雨だれのリズムが心地よく響きあい、天人あい和するかのような厳かな神事となった。午後1時からの神幸祭では、神輿行列が西陣の街へ繰り出す直前に不思議と雨が上がった。今年の神輿巡行はコロナ禍のため3年ぶりで、神輿3基のみだった。
 晴明神社を出発した神輿は、京の町衆や講社員の男性たちに担がれ、西陣の街中を4時間ほど巡行した。担ぎ手は上下白装束で、白のはっぴの背中には晴明神社のシンボルである「☆」型の五芒星(晴明桔梗)と「晴明神社」の文字が染め抜かれ、「ホィットー、ホィットー!」という威勢の良い掛け声とともに練り歩いた。午後5時に再び晴明神社に戻り「晴明社」と書かれた扁額のかかる鳥居の下を、掛け声と共に注意深くくぐり抜けた。そして本殿の前、安倍晴明公の銅像の脇で神輿を天高く持ち上げ、晴明公への祈りであるかのように「ホィットー、ホィットー!」を連呼して巡行を奉納し終えた。
 境内や沿道には多くの露店が立ちならび、コロナ禍にもかかわらず人出も多く、子供たちの歓声が上がった。
 晴明神社は、京の一条戻橋のたもとにあった安倍晴明の屋敷跡に現在、鎮座している。寛弘2年(1005)安倍晴明が亡くなった際、当時の一条天皇は晴明の遺業を「晴明は稲荷神の生まれ変わりである」と賛え、寛弘4年(1007)屋敷跡に晴明を祀る神社を創建したのが始まり。

五芒星と晴明神社のはっぴを着た神輿の担ぎ手

 安倍晴明(921─1005)は、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖である。晴明自身は最近の小説、アニメなどでは若く描かれているが、実際に表舞台に現れたのは遅かった。晴明の有名な出世譚は、天徳4年に発生した内裏火災で焼損した皇室の霊剣鋳造に功があったとして、翌応和元年(961)、41歳で官職としての陰陽師に任じられ、天禄2年(971)51歳で天文博士の兼任が認められた。晴明の陰陽師としての実力は、当時の物語などに多数残されている。
 例えば、晴明は幼少の頃、師である賀茂忠行の夜行に供をして、夜道に鬼の姿を見て忠行に知らせたことによって師は晴明の才能に気付き、陰陽道のすべてを教え込んだ(『安部晴明随忠行習道語』)。また、播磨国の陰陽師・智徳法師と術比べをして、晴明がたやすく勝ったことが、負けた方に記録され(『播磨国陰陽師智徳法師語』)、『平家物語』の「剣巻」では、貴船神社に祈願し鬼となった橋姫の腕を渡辺綱が切り落とし、晴明がその腕を封印している。