待降節(アドベント)

2019年12月10日付 758号

 「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。彼は主を恐れることを楽しみとし、その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の聞くところによって、定めをなさず、正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって国のうちの柔和な者のために定めをなし、その口のむちをもって国を撃ち、そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。…その日、エッサイの根が立って、もろもろの民の旗となり、もろもろの国びとはこれに尋ね求め、その置かれる所に栄光がある。」(イザヤ11・1─5、10)
 キリスト教の暦では待降節(アドベント)を迎えた。イエス・キリストの御降誕祭の準備の期間だが、再び来られる主への備えの時でもある。この時、長き「救いの歴史」を思い起こし、イスラエルを治めた王のごとく愛と公正でこの世を治める平和の王の到来を待ち望み、祈る。全世界に祈りの声が響く時、古き年は過ぎ、新しい希望の一年が到来する。(I)