殉教者の精神

2019年11月10日付 灯

 「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。『わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている』と書いてあるとおりである。しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」(ローマ人への手紙8・35─39)
 殉教者を祈念して祈る時、パウロの言葉を思い起こす。厳しい弾圧と迫害の下、キリストと共に生きキリストと共に死ぬことを善しとした殉教者の精神は、神のひとり子の愛に支えられている。罪の縄目に縛られ苦悩する人類を救わんがため、自らの生命さえも惜しまなかった救い主の精神を継承し、この時代に顕現させようというのだ。(I)