伏見稲荷大社で火焚祭

五穀豊穣の感謝捧げる/京都市伏見区

火床に塩を投じる舟橋雅美宮司


 全国の稲荷神社の総本宮である京都市伏見区の伏見稲荷大社(舟橋雅美宮司)で11月8日、五穀豊穣を感謝する火焚(ひたき)祭が斎行された。本殿では舟橋宮司が、祝詞を奏上し、今年刈り入れられた稲穂が焚き上げられて、神に収穫を感謝する神事が行われた。続いて祭場では、大勢の参拝者が見守る中、3基の火床にお火焚の炎が勢いよく燃え上がり、人々は罪穢れの消滅や福運の招来を祈った。
 火焚祭は、2月の初午(はつうま)大祭で稲の成長を願い、春から夏にかけて地に芽吹きと生育を与え、秋の実りをもたらしてくれた稲荷大神の御神徳に感謝する神事である。火焚祭は、本殿で行う「本殿祭」と、鳥居が重なる千本鳥居の手前の祭場で行う「火焚神事」とからなる。
 本殿祭での神事の後、祭場に集まった大勢の参列者が見守る中、神職が大松明で火床に火を点じると、炎は勢いよく燃え上がった。火床は、一辺が約3メートル、高さ約1メートルで、深緑のヒバの葉で覆われている。
 大祓詞が「(のこる罪はあらじと)~佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ 速川の瀬に坐(ま)す瀬織津姫(せおりつひめ)という神 大海原に持ち出でなむ~」と奉唱される中、舟橋宮司が燃えさかる火床に榊葉と塩と水を投じた。そして、全国から奉納された十数万本の火焚串(ひたきぐし)を、神職が祈念を込めて次から次へと投じると、火焚串は放物線を描いて炎に吸い込まれていった。火焚串には「罪障消滅」「万福招来」「家内安全」などの願いが書き込まれている。5メートルにも上がる炎は人々の顔を火照らせ、神楽女による神楽が奏された。
 参列者は約2時間続くお火焚きの神事に見入っていた。フランスから来た50歳の男性は「素晴らしい神事だ。この後、千本鳥居を巡り、夜は御神楽を見る予定です」と話した。

稲荷山の参道に立つ千本鳥居


 伏見稲荷大社は式内社(名神大社)で、現在は単立神社。全体が神域の稲荷山の麓に本殿があり、全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮で、初詣には近畿の社寺で屈指の参拝者が集まる。
 主祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)の五柱の神を一宇相殿(一つの社殿に合祀する形)に祀る。
 古代、稲荷山を神がまします「神奈備山」として崇拝したことに始まり、農耕の神として祀られ、後に殖産興業の性格が加わり庶民から広く信仰されてきた。この辺りは渡来系の秦氏の有力な根拠地の一つでもある。平安時代、2月の初午の日に稲荷山へお詣りする習慣が盛んとなり、清少納言も稲荷詣の体験を『枕草子』に記している。東寺(教王護国寺)の造営には鎮守神となって真言密教と結び付き、天慶5年(942)に正一位の極位を得た。東寺との関係は今も続いている。
 明治の神仏分離令によって境内の仏堂は廃されたが、一方、七つの神蹟地が定められて親塚が立てられ、その周りに個人の信仰により表現された神名を刻んだ塚が奉納され「お塚」と呼ばれている。同大社は特に商いの成功(結願)を祈る商人の信仰を集め、お塚の数は1万を越え、結願のお礼に朱色の鳥居を奉納する習慣が広まり千本鳥居となっている。