宗教の中心でAIを叫ぶ
2019年7月10日付 753号
今AI(人工知能)は、少子高齢化、労働力不足の日本の救世主のように期待されるかと思えば、人間から仕事を奪ってしまうと恐れられたり、評価が大きく揺れている。そうした中、日本で第二次AIブームが起きた1980年代、エンジニアとして「第五世代コンピュータ」のプロジェクトにも携わっていた西垣通東京大学名誉教授が昨年、『AI原論 神の支配と人間の自由』という面白い本を出している。
その結び近くで西垣氏は「AIの宗教的背景についての洞察力を得れば、『やがてAIロボットが人間のように自律的に、主体として賢い判断を下せるようになる』などといったグロテスクなお伽噺に惑わされることはなくなる」と述べている。
人間が不死になる?
西垣氏は自動運転などAIの応用を否定しているわけではない。むしろ過疎地などでの交通手段や人間の過誤による事故を防ぐため、開発を進めるべきだという立場である。
問題は、シンギュラリティ仮説を提唱したアメリカの発明家レイ・カーツワイルのようなトランス・ヒューマニストが、人間の脳をコンピュータに取り込むと、肉体は消えても思考や記憶は残るから人間は不死になると唱えだしたことである。シンギュラリティとは特異点のことで、2045年には人間より賢いAIが出現すると彼は予言している。人間は科学技術によってどんどん進化していくという楽観主義である。
他方、『サピエンス全史』が世界的なベストセラーになったイスラエルの若い歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは次作の『ホモ・デウス』で、21世紀にエリート階級の人間は神のように進化すると言っている。しかし、圧倒的多数の無用者階級とに分かれてしまうので、将来に対しては悲観的である。
フランスに留学し哲学を学んだ西垣氏は、前掲書で「単純化すれば、トランス・ヒューマニズムは『創造神/ロゴス中心主義/選民思想」という三つのキーワードで説明できる。救済計画をもつ唯一神がこの宇宙(世界)を創造したのであり、その設計思想はロゴス(論理)をもとに記述されていて、正確な推論によって真理にたどりつける。そして、選ばれた人間だけが、ロゴス(神の御言葉)を解釈しつつ正義の実現をめざすことができる。…したがって、『絶対知すなわち神の知』という公式のもとで、これを実現する汎用AIという存在さえ位置づけることが可能になる」とAIの宗教的背景を述べている。
相対的な人知を通して絶対知に至るという矛盾も、三位一体論により至高の神が十字架のキリストを介して地上の人間に結びつけられたことにより理解され、人間と神との一体化から、科学技術による進歩を絶対善とする進歩主義が生まれたという。
確かにそうした西洋思想が飛躍的な科学技術の発展をもたらしたのだが、同時にそれ以外の多くの文化と自然を破壊してきた。文化多元主義など戦後の現代思想は、その反省から生まれてきたものである。ところが、あえてそれを無視した素朴実在論にもとづいて、AIがAIを作るようになると人間を超えるというのがトランス・ヒューマニズムである。
そこで西垣氏は日本の役割として、「AIという仮面をかぶった世界支配を批判的に相対化しつつ、人間の生きる力を根源的に高める活路を切り開くこと」を提唱している。
一つになる知恵
ロボット工学のパイオニアで若者たちが夢中になるロボット・コンテストの生みの親、森政弘東京工業大学名誉教授は『仏教新論』という興味深い本を書いている。ロボット制御から自在学を究めるなかで禅に出会った森氏は、深い学びと体験から仏教の特徴を「一つ」に見ている。そして、心と体、自分と行為、自分と自然とが一つになるという観点から仏教の教えを説く。
これは、ギリシャ哲学と融合したキリスト教のロゴスの知とは対極にあるもので、身体的な知と言えよう。禅の三昧の境地など言葉では説明できない。それゆえ、学び以上に体験が重視されている。釈迦が発見した宇宙の法則に自分を近づけていき、最後には一体化することで、主体と客体の別がなくなるのである。分ける理性とは異なる知の道を、東洋世界は育んできたのである。その知こそがAIを生かすことができるのではないか。