新年のご挨拶
本紙代表 石丸志信
令和4年壬寅の年を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。 昨年中は格別のご高配を賜り、心より御礼申し上げます。 新春の朝を迎え、澄み渡った空気の中に初日の陽光を浴びる時、すべてが刷新された神聖な感覚を覚えます。この美しく豊かな自然に恵まれた国に生まれた喜びと感謝が湧き起こり、自ら目に見えぬ大いなる方、すべてのものの創り主に手を合わせるのです。
2年以上にわたり人類は艱難辛苦の時を過ごしてきました。忍耐の限界を超えてご苦労された方々に慰労を与えてくださいと、心からお祈りいたします。そうした困難を経ながらも、人々は知恵を尽くし工夫しながら、新たな生き方を探ってきました。新しい時代に希望を見いだす努力がなされてきました。
「壬寅」は、「陽気を孕み、春の胎動を助く」を意味するといいます。厳しい冬に鍛えられた種が春を迎えて芽吹く、生命力あふれた年になることを予感させます。我が国のみならず、世界各国、そして地球上に生きる人々が、等しく希望を胸に抱いて、春の陽光を浴びながら、自由と幸福に満ちた世界を創り出していけるよう、手を携えて動きだすことを期待するものです。
祝祭は、感謝、賛美、嘆願を含みながら、神と人とが共に過ごす時です。新しい年を刻む新年の祝祭から始まり、節目、節目にそれぞれの伝統に従って祝祭が捧げられるにしても、人々の願いは共通です。人は、その中で、かつて神より頂いた恩恵を思い起し、今ここに生きていることへの感謝を捧げ、幸福に満ちた未来に希望を抱いて歴史を紡いできました。
中でもユダヤ教の伝統に定められた祝祭は、かつて民族が経験した奇跡の出エジプト体験を想起し、やがて訪れる天地創造の七日目の安息、約束された完成の喜びを先取りして祝うものとなっています。それが、七日ごとに繰り返されながら、大きくは一年のサイクルを生み出していきます。この伝統から生まれたキリスト教も、その意義を継承し刷新した祝祭を執り行ってきました。始まりの時があり、終わりの時がある。終わりの時は、始まりの時に示されたビジョンの完成の時。聖書でいえば、天地創造の完成の時が、やがて必ず来るという確信を産みます。
宗教的精神を人生の根幹に抱く人々は、この天意に従った完成のビジョンを先取りしながら、振り返って今の時を見つめる者かもしれません。今がどんなに困難な時代であっても、必ず完成の時がくる、完成の様相を見ながら、今を生きる群れが世界にあふれることを願うばかりです。昨年の秋に、日韓トンネルプロジェクトを推進する調査斜坑現場を訪ねて祈ってみた時に、そのことを強く感じました。そして、聖フランシスコの平和の祈りの一節が浮かんできました。
「憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を」 この世界に横たわる分裂の痛みを癒し、一致をもたらす者たちの祈りと実践を期待します。この国と世界に生きる宗教者がこぞって平和の道具として、暗闇の中を歩く人々に、信仰と真理、希望と喜びをもたらす光となってくださることを念願します。
この一年の希望を先取りした新年の祝祭の時、皆様のご健康とご活躍を祈念し、新年の挨拶に代えさせていただきます。