伊勢山皇大神宮で創建150年奉祝大祭

コロナ禍終息と横浜の繁栄祈願

国旗掲揚塔の前に列する阿久津裕司伊勢山皇大神宮宮司、利根康教寒川神社宮司ら祭員

 横浜の総鎮守、神奈川県横浜市の伊勢山皇大神宮(阿久津裕司宮司)で5月15日、例祭並びに創建150年奉祝大祭が斎行された。創建150年記念行事として、16日には神輿がみなとみらいを巡行し、臨港パークで流鏑馬神事が奉納された。22日の奉祝大祭(2日目)では、拝殿で神楽舞、デジタル紙芝居、和太鼓和楽器演奏、箏演奏の行事が執り行われた。
 15日午前10時、斎主(阿久津裕司宮司)、献幣使(利根康教寒川神社宮司・神奈川県神社庁副庁長)以下祭員が国旗掲揚塔前から参進、祓い所で修祓の儀、斎主、献幣使以下祭員が神楽殿の所定の座に着いた。次に斎主一拝、御扉を開いた後、神饌を供し、神社幣を献じた。祭員奉賛会が初穂を献じた後、斎主が祝詞を奏上した。続いて神社本廳からの幣帛が奉幣され、献幣使が祭詞を奏上した。
 2人の巫女が、創建150年の奉祝として創作された新たな祭祀舞「伊勢山の舞」を奉奏。続いて斎主、献幣使が玉串を奉って拝礼し、参列者がそれに続いた。本廳幣・神社幣・奉賛会初穂・神饌が徹せられ、斎主は御扉を閉じ、本座に着いた。斎主一拝し、例祭並びに創建150年奉祝大祭は滞りなく修められた。
 阿久津宮司は挨拶で、「昨年が創建150年だったが、緊急事態宣言発出のため奉祝大祭を1年延期した。この1年、神社は大勢の皆様に支えられ、心の拠り所であることを強く感じた。記念事業は本殿の建て替えを中心に進め、伊勢神宮の式年遷宮の後、古社殿の材を授与頂き、横浜市民にも誇り高いものとなった。旧本殿は東日本大震災復興支援の一助として、宮城県石巻市の鹿島御児神社にお譲りし、本殿として完成した。人々の祈りの継承が受け継げられ、ご縁をいただいたことに感謝する。創建時には横浜市民がこぞって祝い、横浜が一つになったと言われる。創建150年は創建時に原点回帰し、記憶と記録に残し、歴史と文化を次世代へ継承することを目的に掲げてきた」と述べ、献幣使の利根宮司は「横浜市民の拠り所であり、『関東のお伊勢様』として信仰されている伊勢山皇大神宮が、今後も発展することを祈る」と語った。
 創建150年奉祝大祭で初披露された「伊勢山の舞」は、同宮創建100年に際し、奉賛会の総裁であった明治天皇第九皇女の東久邇聡子様が詠まれた和歌に、元宮内庁式部職楽部主席楽長の池邊五郎氏が作曲・作舞したもの。舞を奉奏した巫女の装束は、同宮の再興と発展の立役者である池田正宏前宮司より奉納され、水と桃色のあざやかな意匠は、伊勢山の桜と横浜の海を表現している。
 伊勢山皇大神宮の創建は明治3年。当時の横浜は人口が急増していたが、多くは地方からの移住者で、住民同士の繋がりが薄かった。そこで神奈川県は、横浜の象徴、人々の心の拠り所として同宮を創建した。明治4年4月15日に社殿と境内施設が竣工し、正遷宮が執り行われた。伊勢神宮より勧請されたと伝わる古社を再興し、横浜総鎮守として祀るにあたり、神奈川県は5日間にわたる盛大な祭礼を執り行った。その総費用は15万両で、これを聞いた当時の外務卿が、「外務省の半年の予算に匹敵する」と驚いたという。
(2021年6月10日付 776号)