特別展「鶴岡八幡宮と文士たち」

鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム

 鶴岡八幡宮の境内にある鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムでは、11月20日から1月31日まで特別展「鶴岡八幡宮と文士たち」が開催されている。
 明治22年(1889)に横須賀線が開通すると、都市化が進む東京の近くでありながら、風光のよい鎌倉が保養地として注目され、政治家、財界人などと共に夏目漱石や与謝野晶子など文筆家、芸術家も多く訪れるようになった。大正・昭和になると東京からの交通のよさもあり里見弴、小林秀雄、川端康成など多くの作家たちが移り住んできた。「鎌倉文士」という言葉があるように、鎌倉に作家たちが集い、互いに交流を深め、鎌倉の行事などにも深く関わってきた。
 同展では、彼ら文士たちの交友や、鶴岡八幡宮、そして鎌倉とのつながりに焦点を当て紹介している。
 日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成は昭和10年(1935)に鎌倉に転居し、以後鎌倉に終生居住し、鎌倉ペンクラブや鎌倉文庫の設立にも貢献した。展示されている「定本『雪國』」(個人蔵)は昭和46年(1971)に牧羊社が作ったもので、劈頭(へきとう)の章句は川端自らが記載した。「国境の長いとんねるを抜けると 雪国であった 夜の底が白くなった 川端康成」と書かれている。また、直筆の紙本墨書・額装や掛軸(御代川本店蔵)も展示されている。
 三島由紀夫は東大在学中に処女小説集『花ざかりの森』を川端康成に送って以降、川端との親交をもった。昭和21年(1946)には鎌倉の川端のもとを訪れ、以来書簡を交わし、会合をもって作品について語り合うなど師弟のような間柄であった。同展示では三島の原稿、連載第一回『春の雪』(「豊饒の海」第一巻)(個人蔵)、原稿『堂本正樹氏のこと』(個人蔵)、直筆の書『憂国』(個人蔵)が展示されている。
 その他鎌倉ペンクラブ、鎌倉文庫の設立に尽力し、鎌倉文士の中心的存在として鎌倉の発展に多大なる貢献をした久米正雄や大佛次郎のゆかりの品も公開されている。

会期:令和2年11月20日(金)から令和3年1月31日(日)
〔休館日:月曜日、但し、12月28日は開館、月曜が祝日の時は翌平日、12月29日(火)から1月4日(月)は特別休館〕
会場:鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(鶴岡八幡宮境内)
開館時間:午前10時から午後4時30分まで(入館は閉館時間30分前まで)
問い合わせ:0467-55-9030

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