勝田吉太郎氏の遺言

2019年9月10日付 755号

 学生時代、熱に浮かされたようにドストエフスキーの作品を読んだ勝田吉太郎氏は、夫人に、半ば冗談、半ば真剣に、「死んだら棺桶の中に『カラマーゾフの兄弟』を入れてくれ」と言ったという。刑法学の瀧川幸辰のもと、ルス法典の研究で研究者の道を歩み始めながら、西田幾多郎の系譜である久松真一にも師事し、ロシア政治思想史で画期的な業績を上げた。

 勝田氏が象牙の塔から時折抜け出し、政治・社会評論を手掛けるようになったのは、戦後日本が曲がり角を迎えた1970年代。自民党の一党支配体制がほころび、各地に革新首長が誕生し、共産党の唱える民主連合政権が現実味を帯びてきていた。そんな時代に、勝田氏は政治思想の深い視点から、神なき民主主義、ヒューマニズムの欺瞞を指摘し、人として国としての在り方を根本から問いかけていた。

国家を支える威厳的要素

 勝田氏に呼応するかのように、梅原猛氏もドストエフスキーを取り上げながら、我々が目指す社会について論じていた。例えば、『カラマーゾフの兄弟』の3人兄弟、ドミートリイ、イワン、アリョーシャ(アレクセイ)は、それぞれ資本主義、共産主義、そして未来の社会を象徴していると。

 ドミートリイは父フョードル以上に強欲で、イワンは懐疑主義者。イワンの「神がいないとすれば人は何をしても許される」との示唆で、異母兄弟のスメルジャコフは憎いフョードルを殺してしまう。ドストエフスキーは、神なき民主主義の典型である共産主義が、最終的にはニヒリズムや冷たい独裁国家をもたらすことを預言したのである。

 そのドストエフスキーが救いを求めるように描いたのがアリョーシャで、彼の素朴な信仰心は東洋的な思想を反映していたと、梅原氏は語っていた。

 ドストエフスキーの思想を決定づけたのはシベリア流刑の体験で、多くの囚人たちから、民衆の心のありようを学んだ。そこから、民衆と離れたロシア・インテリゲンチャを痛烈に批判したのである。革命によって生まれたソ連は、まさしく裏返しのツアーリズムで、資本主義以上の階層社会を築いた。そんな国に無邪気に憧れる日本の左翼を、勝田氏は論断したのである。

 70年代後半には元号法制化が議論になり、1979年に元号法が成立した。左翼勢力は当然ながら反対で、それに対して勝田氏は、日本という国や民主主義の在り方や天皇の存在から元号の必要性を説いていた。

 例えば、国家には実務的な要素のほかに威厳的な要素がなければならず、天皇制は目に見えないところで国家の威厳的な部分を表現していて、日本国民の大多数は、無意識のうちにしろ、そのように考えている、とした。イギリス風に言えば、「王冠を頂いた民主主義」(crowned democracy)である。

 さらに、「人格の尊厳を真に支えるものは、万人のうちにひそむべき仏性とか神の似姿とかいった形而上的ないし宗教的理念でなければならない。…真の宗教信仰があってはじめて、人間は尊重されるに値するものとなるのであろう」とも言う。

 また、エドマンド・バークを引きながら、真の民主主義は生きている者のためだけでなく、亡くなった人、これから生まれる人たちのためでもなければならないとした。御代替わりの本年、それを支える国民的な宗教信仰の象徴が天皇だと深く考えさせられた。

秋の大嘗祭に向けて

 今では日本だけになった元号について付言すると、「明治は遠くなりにけり」「大正ロマン」「昭和歌謡」など、元号は日本人の歴史観の醸成に大きな力を発揮している。西暦だとそうはいかないだろう。

 国民国家とは一つの物語を共有する人たちの集まりとも考えられる。例えば、明治初めの日本人は、それまで目にしなかった天皇が、軍服姿で騎乗する姿を見て、新しい国を実感したであろう。

 勝田氏は、幕末維新と敗戦の危機を乗り越えられたのは、天皇の存在が大きいと力説する。そんな日本に生まれた奇跡に感謝しながら、秋の大嘗祭を迎えたい。

前の記事

救いの計画