鎖国の内に花開いた「和」の精神

江戸東京の宗教と文化(8)
宗教研究家 杉山正樹

江戸時代の文化

葛飾北斎《冨嶽三十六景 下目黒》(東京富士美術館蔵)「東京富士美術館収蔵品データベース」収録
https//www.fujibi.or.jp/collectionartwork06257

 幕府による強固な統制によって実現した江戸の社会は、むしろ文化の変容と創造に恵まれ、日本文化史の成熟期として特筆される。その背景には幕府による「海禁政策」、経済力をつけた庶民階層の文化的志向があった。鎖国体制がもたらした「江戸文化」の興隆は、平安時代の「国風文化」と比較されよう。
 江戸幕府は、「四つの窓口」(長崎・対馬・薩摩・松前)を例外拠点として対外貿易を厳しく制限、キリスト教の布教、西洋思想の流入を警戒して国を閉ざした。文化の停滞を招いたかにもみえるこの「海禁政策」は、実際には江戸文化揺籃の好機となった。海外からの物資や情報の流入が制限された結果、日本人は自国文化に目を向け、独自の美意識や生活様式、精神性を探求するようになる。
 浮世絵、歌舞伎、俳諧、狂歌といった町人文化は、庶民の生活や嗜好を反映し「さび」「粋(いき)」を愛でる江戸人の美学を見事に体現し、当時の社会を活写した生活文化を産み出した。江戸時代に花開いた美意識は、平安時代にみられる「みやび」「もののあはれ」とは趣を異にするものの、内面の感受性と日本人的美的理念の精神に支えられている点で共通している。
 平安文化が宮廷という限られた場で開花したのに対し、江戸文化は民衆の手に委ねられ、空間的にも広がりを持つものとなった。寺子屋による識字率の向上、出版の隆盛、寺社参詣や旅行の大衆化などがそのエンジンとなる。『東海道中膝栗毛』に代表される滑稽本、蔦屋重三郎がプロデュースした黄表紙といった大衆文学は、笑いや風刺を通じて人間の弱さや不完全性故の愛おしさを描き出し、形式美に偏ることなく生活の息づかいを伝えた町人文化として、現代人の感性にも通じる力を持つものである。また、花街文化や茶道、盆栽、生け花など、洗練された趣味の世界もまた、武士から町人層に至るまで広く愛された。これらは、平安貴族の「遊び」や「たしなみ」に近く、日常の中に非日常を取り入れる工夫に満ちていた。
 唐の影響を脱し日本独自の文化を形成した平安時代の貴族たちは、『源氏物語』や『枕草子』を通し、自然や季節の移ろいに繊細な感受性を抱き、儚く美しいものに価値を見出した。この「国風文化」は、外来文化を吸収しつつもやがてそれを超えた日本独自の生活感情を確立する道を選ぶ。平安時代、貴族の間で展開された「くにぶり」を「国風文化」とするならば、庶民の間で展開された「くにぶり」が「江戸文化」と言うべきか。

『奥の細道』(国文学研究資料館所蔵)出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200019895

 「江戸文化」は、中国や西洋の影響を受けつつもそれを巧みに再構成した点でも「国風文化」と相通じている。例えば思想界では、朱子学の批判的展開・日本固有の思想への原点回帰から古学・国学が誕生した。江戸町人による商人道は、道徳的規範との再構成で、現代においても評価される「石門心学」のようなビジネス倫理、利潤追求を超えた美意識と精神的規範を構築した。これらは、華美な装飾や形式ではなく、日々の暮らしの中でいかに「よく生きるか」を問う姿勢であり、「国風文化」に通じる思想的深みを持つものである。
 田沼政治による重商主義的な政治改革は、その恩恵を享受することとなった被支配階層の庶民に対し、自らが貨幣経済の担い手であるという主役意識を目覚めさせた。化政文化の萌芽となる宝暦・天明文化の晩期、風紀引き締めと出版統制を行った松平定信自身も多くの和歌や絵画を嗜む文化の理解者であったことはよく知られている。
 ペリー来航後開国を迫られた日本は、明治維新を迎え近代国家への道を歩む。西洋文明の猛威の前に江戸文化は一時、過去の遺産として片隅に追いやられた。しかしながら明治以降の日本文化は、江戸文化の上に築かれたものであることは言を俟たない。例えば漱石文学に見られる「内面の成熟」や、「和」の美学を重んじる近代工芸は、いずれも江戸の精神風土の継承である。
 菅原道真は、唐の混乱を憂慮し遣唐使廃止を宇多天皇に建言した。当時と江戸幕府の政治的背景は異なるものの、日本を外界から隔てたが故に生まれた両者の独自性、そしてそれを支えた感性の豊かさは、日本人の「自己凝視」から生まれる「洗練」の能力と伝統を証明するものであった。その意味でも江戸文化とは、現代においてもなお息づく「静かな革新」の系譜であると言えるのではないだろうか。

(2025年9月10日付 827号)