神職修行は陶芸の道で

連載・信仰者の肖像(15)
増子耕一

宮川憲一(1938〜)

 

宮川憲一さん

 宮川憲一さんが宮司を務める天祖神社は、東京都葛飾区堀切の街の中にある。京成上野線堀切菖蒲園駅から歩いて数分の所で、商店や住宅が建て込んでいる。社務所の応接室には壺や茶碗が並べられていて、客人の興味をそそった。
 1979年、陶芸活動による教化活動が讃えられて、財団法人神道文化会による「神道文化奨励」を受賞。
 境内の一角に窯があり、展示室もあって、近所の人たちが買いにやって来る。古い時代の壺を再現した作品もあるが、大半は日常、使用する食器で、買いやすい値段だ。長年、美を追求して作り続けてきたが、今は高齢で引退した。
 宮川さんは1938年、兵庫県に生まれた。早稲田大学に学んだが、親類の宮司に後継者がいなかったことから乞われて神職の道に。國學院大學で神職資格を取得し、68年天祖神社禰宜となり、翌年宮司に。
 強い信仰があったわけではなかったので修行が必要だと痛感した。神道の神髄は何かを考えた時、信仰の根幹が生産にあると知って、天祖神社に入った時から焼き物を始めた。
 過去のすべてを打ち捨てての神職だったので、真剣だった。
 陶芸に至るには多くの恩師との出会いがあった。倉敷市の味野中学校での美術教師は「瞽女」の作品で知られる斎藤真一で、「芸術は心の写生」と教わった。倉敷民芸館の外村吉之助からは、「生産に関わらなければ健康な生活ができない」という「民芸」の精神を学んだ。早稲田大学ではバーナード・リーチから、「焼き物をやり続けるには心の旅をすることだ」と諭された。
 その頃から陶器を集め始めていたが、黒田陶園の黒田領治から「陶器の理解は作陶を通してこそ」と教わり、栃木県佐野で制作していた人間国宝で東京芸大教授の田村耕一に私淑した。
 1969年、境内の一角に窯を設け、師匠から「日昌窯」と名付けてもらい、制作を開始した。「日々心を新たにして一生懸命焼く」という意味だ。千葉県船橋にも窯場がある。穴窯と登窯で焼き、ガス窯・電気窯も使うようになった。
 作ったのは織部・黄瀬戸・信楽など日本の伝統的な作品だが、神社で使用する土器や記念品、絵馬なども「日昌窯」での手作り。
 神田明神の神田祭で、式典の記念品として土鈴600個を焼いたこともあった。神田明神の神主や氏子らが協力して焼き上げた。伊勢の土に神田明神境内の土を混ぜて使い、落ち着いた澄んだ音がしたという。
 「粘土は地下に大量にありますが、ぼくが掘り出してくる土は一握り。宿命的な出会いです。それを1200度の高熱で焼くともはや土には帰らない。その命を焼き物に復活させて世に送り出してあげるのです」
 陶芸家の仕事は土と火という自然界の不可思議な働きを扱う仕事だ。
 「一度火に入れると、手を入れることはできません。壊れても、落ちても、それは火が決める。火そのものに崇高な意志があるように感じられます。不純物が完全に除かれ、純粋な鉱物になる。これは神道の禊や祓いに通じることで、古代人が火を清めに使ったという信仰は、ぼくの心と変わることがありません」


(2026年3月10日付 833号)