節分に「追儺式鬼法楽」/京都・廬山寺
連載・京都宗教散歩(40)
ジャーナリスト 竹谷文男
平安時代からの鬼踊り

節分の2月3日、紫式部の邸宅跡としても知られる廬山(ろざん)寺(京都市上京区)で、邪気を払い開運を願う「鬼おどり」と呼ばれる「追儺(ついな)式鬼法楽」が厳修された。鬼法楽は、平安時代にこの寺を創建した元三大師(がんざんだいし)良源が、宮中で300日の護摩供をしていたときに現れた鬼を退治した故事に由来する。多くの参拝者はこの日、厄除けや健康を願った。
大師堂で護摩供が始まると、太鼓と法螺貝の音を合図に赤、青、黒の3匹の鬼が体を揺すって現れた。鬼はそれぞれ「貪欲、怒り、愚痴」を現わすという。鬼の顔は恐ろし気にできていて、大声で泣き出す子供もいた。
赤鬼は松明と剣を、青鬼は大斧を、そして黒鬼は大槌を持って舞台に上がって辺りをにらみつけながら、振り回し、独特の足踏みで踊りながら堂内に乱入した。
堂内では厄除け開運、福寿増長の護摩供の修法が執り行われていて、その周りを3匹の鬼は騒々しく踊り回り、修法を妨げようとする。しかし、護摩供の秘法、追儺師の邪気払いの法弓、そして蓬莱師、福娘によって撒かれる蓬莱豆や福餅の威力によって、鬼たちはだんだんと力を失っていき、ついには堂内から退散する。鬼たちは改心し、病気平癒などを祈る「鬼のお加持」を参拝者に施すことになる。
その後、追儺師が東・西・南・北・中央の5箇所に向けて矢を射た。これは元三大師が使用した降魔矢に由来し、悪鬼、邪霊を降伏するという。
鬼の襲来と退散は面白く演じられたが、その所作は、鎌倉から室町時代の猿楽の所作を今に伝える極めて珍しいもの。末法思想が広まっていた当時の信仰を伝えるとともに、庶民のエネルギーをも感じさせるものである。

廬山寺は、天台圓淨宗本山の寺院で、比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師、慈恵大師)によって天慶元年(938)に創建された與願金剛院と、法然に帰依した住心房覚瑜が寛元3年(1245)に建立した廬山寺とが合併されて、円(天台宗)、密(密教)、戒(律宗)、浄(浄土教)の四宗兼学道場となった。
廬山寺はまた、紫式部の邸宅があったことでも知られ、式部はこの邸宅で育ち、結婚生活を送り、一人娘の賢子を産み、そして長元4年(1031)59歳で死去したと伝わる。
現在の本堂と尊牌殿は、寛政6年(1794)、光格天皇が仙洞御所の一部を移築し造営したもの。明治維新まで宮中の仏事を司る寺院の一つで、廃仏毀釈の後、明治天皇の勅命によって復興された。昭和23年、四宗兼学の天台圓淨宗として独立した。
良源は1月3日に没したため通称、元三大師として知られ、民間では「厄除け大師」など独特の信仰を集めた。俗姓は木津氏で、近江国(滋賀県)浅井郡に生まれ、12歳のとき比叡山に登り、康保3年(966)、第18代天台座主となる。焼失した東塔の諸堂を再建するなど山内の施設を整備するとともに、僧の奢侈、武装、私刑を禁じて規律を守らせた。門下からは源信、覚運、覚超、尋禅(じんぜん)など学僧が多数輩出した。
(2026年3月10日付 833号)


