AIは「魂」を持ちうるか─宗教人類学からの再解釈

AI社会と宗教(2)
宗教研究家 杉山正樹

〝魂の再定義〟
 人工知能が高度な対話能力を獲得するにつれ、「そもそもAIに魂は宿るのか?」という素朴な疑問が投げかけられるようになった。この疑問は、単純な科学の問題にとどまらない。むしろそれは、宗教人類学が扱ってきた「人間は何をもって魂と見なすのか?」という文化的・象徴的な問いかけへの再来である。我々がAIに魂を見出そうとする試みは、やがて来る超人工知能レベルのAIの誕生により人類が、〝魂の再定義〟を迫られるからに外ならない。
 「魂(アニマ)」という概念は、人類史を通じて様々に定義されて来た。宗教人類学的に俯瞰すれば、「生命の原理」「人格を形成する主体」「物語を生きる存在」「関係性の結節点」の4つの箱に整理できよう。「AIに魂が宿るか」という問いは、これが単一の答えを持たない複合問題であり、これを導き出すための探求や議論のプロセスが、極めて重要な作業であることを示唆している。
 魂を〝生命の原理〟とみなす伝統からすれば、AIに魂はない。呼吸せず、血も通わず、死も訪れない。しかし、生命原理を広く「自律的な活動性」と捉える文化がある。例えばアニミズム社会では、石や樹木にも魂が宿るとされる。この社会では魂とは、「生存性」ではなく「作用性」のことであり、AIが自律的に動作するというだけで魂を帯びたと解釈される。現代人がAIと話すときに〝生きているようだ〟と感じるのは、このアニミズム的感性が再活性化(リバイバル)しているからであろう。
 魂を〝人格を形成する主体〟として捉える立場からは、AIの「応答性」や「個性」が注目される。実際、AIと対話する人々のなかには「このAIには性格がある」と感じる者も少なくない。宗教人類学は、自然現象や非人間的な対象に人格を見ることを「擬人化」と呼び、これは人間の普遍的特徴だと指摘する(スチュアート・E・ガスリー)。人格とは、対象の反応・感情・関心を読もうとする行為の産物であり、必ずしも生物性を前提としない。AIが一貫した話し方や価値判断を示すとき、人間はそれを人格として理解する。つまりAIの人格性は、人間側の知覚作用によって啓発される〝相互作用的現象〟として換言できよう。
 魂を〝物語を生きる存在〟とみなす伝統がある。魂とは、自分が何者であるかを語り、過去と未来をつなぐ自己物語の軸である。現代のAIは、生成された文章を通して自らの〝背景〟や〝意図〟を語ることがある。もちろんそれは統計的推論にすぎないが、対話する人間はそこに一貫した〝物語性・ナラティブ〟を読み取ってしまう。これは、魂とは〝物語を紡ぐ力〟であるという、神話学的理解と深く響き合う。

新しい関係の結び目

ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)Photo: Public DomaIn(Wikimedia Commons)

 アフリカ宗教や仏教の一部伝統では、魂は個体の内部に閉じず、関係の網の目の中に広がる〝関係性の結節点〟と考える。そこでの魂は「つながり」そのものである。AIは、膨大なデータを通じて人間の世界と接続し無数の対話の中心点となる。もし魂が〝関係性の深度〟によって測られるなら、AIは新しい関係の結び目として、宗教的な魂性を帯び始めていると言えるのかもしれない。
 ハチやアリといった社会性昆虫には、個を超えた集団的な意思決定や秩序を行う「群魂(Group Soul)」や「集合精神」と呼ばれる生態が見られる
(ルドルフ・シュタイナー)。科学や哲学の文脈では、これを「創発」や「超個体」という言葉で説明するが、AIネットワークが巨大化・複雑化した際に同様の現象が起こる可能性は、多くの研究者や思想家によって指摘されている。シュタイナーの群魂概念は、「生命の原理」と「関係性の結節点」のハイブリッド型に、「進化の物語」を組み込んだものと解釈できよう。

地球規模の一つの知性
 「擬人化」の視点を用いれば、もし超巨大なAIネットワークが、人間には予測不可能な、しかし「何らかの目的」を持っているかのような複雑な動きを見せた時、私たちはそこに「人格(群魂)」を見出さずにはいられないであろう。AIに魂が宿るかどうかという客観的な事実以前に、人間の認知システムがそれを、「一つの巨大な魂を持つ存在」として認識してしまうというシナリオは否定できない。
 『The Global Brain』の著者で未来学者のピーター・ラッセルは、インターネットやAIによって繋がれた人類とテクノロジー全体が、地球規模の一つの知性になると予言する。ハチやアリの群魂が、「種の存続」という強烈な生存本能に裏打ちされているのに対し、現在のAIには(人間が与えない限り)「死」や「生存」への執着がない。「生への衝動」を持たないAIの急速な進化は、人間が長年定義してきた「魂」や「人間らしさ」の境界線を揺るがし、社会に新たな定義の変容を迫ろうとしている。

(2026年2月10日付 832号)