座右の銘は「生き抜けよ!」
連載・信仰者の肖像(14)
増子耕一
大栗道榮(1932〜2021)

住職を務めていた大日寺は東京都渋谷区代々木にあり、街のど真ん中。ここに大栗が大日寺を建立したのは1977年。45歳の時だ。「心の修業塾」を主宰し、経営者や主婦や若者を対象に真言密教を教育してきた。高野山真言宗の大僧正、伝法大阿闍梨であった。
寺の中はきれいに掃き清められていて、「時間があれば一日中でも掃除している」と聞いたことがある。著書『こばなし法話集』(国書刊行会)に「掃除のすすめ」という章がある。
「心の修業塾」の研修会が計画されていて、主婦の山本さんが発表を担当。困ってしまって娘さんに訊いた。「掃除をするとどんないいことがあるの?」。一週間後、娘さんから答えをもらい、それを読みあげた。
「ひとつ、寒いときに掃除をすると、暖かい感じがする」「ふたつ、暑いときに掃除をすると、さわやかな感じがする」「みっつ、掃除をしてきれいになると、気持ちがシャンとして、姿勢がよくなり、新しい気分になる」。そのほか、何かをしようという気持ちが湧いてくる、アイディアが浮かびやすい、人の役に立っている存在感を感じた、など、8項目。
和尚はそれを聞いた後、心の塵埃を落とすことの大切さを説き、強欲、傲慢、ふしだらなど、清めるやり方を語る。
和尚は徳島県四国八十八カ所第十三番霊場の生まれ。中央大学を経て、高野山専修学院を卒業。和尚の著書は100冊以上に上ったが、多くは落語のように師と弟子との問答で綴られ、分かりやすい。読むと「日本人の躾」を重要視していたことが分かる。それを仏教で裏付けた。
和尚のもう一つの顔はエッセイスト。日本文芸大賞を受賞している。何をどう書くべきかを探り求めた時期があった。その時に出会ったのが作家の森敦だった。
この作家は真言密教の研究者で、奈良・東大寺に住んで修業していたことがあり、高野山大学学長の栂尾祥雲とも親しかった。芥川賞を受賞した名作「月山」は、雪にうずもれた山奥の寺で天に向かって書いた作品。和尚は、集会に講師として来ていた森に声を掛けた。体験した密教を文章に表現する必要があると思っていたからだ。
「小説を書くのはやめなさい。ただし、ご本尊様への手紙は思いのままに書きなさい。何でも書きなさい」
これが返答だった。書いた本は森に贈呈して感想を求めた。この交流は森の最期まで続き、亡くなる3日前、森は贈られた和尚の『四座講式物語』を3回読み「流れるような文章だ」と絶賛。
毎月「おといれだより」という小さなカラー版の新聞を出し続けた。亡くなる前の令和3年4月号には、「生き抜けよ!」というメッセージが掲載された。これは和尚の座右の銘だった。
「神さまも仏さまも、その人に背負えない荷物(苦しみ)は背負わせない。生き抜くとは今生(この世に生きている間)だけでなく、死んで生まれ変わった時、どのような生き方をするか今から考え準備しておくことを言う。今生では出来なかった夢を次の世で実現できるには、今生で何を実行すれば良いのじゃ」
問いで終わった言葉だが、答えは生涯かけて語ってきたのだ。
(2026年2月10日付 832号)


