天からの甘露を受ける

連載・信仰者の肖像(12)
増子耕一

栗田 勇(1929〜2023)

 

栗田 勇

 栗田勇が東京大学文学部仏文科の学生だった頃、東京の街は戦災で焼け野原だった。
 フランス文学を学び、街をさまよい歩きながら、ボードレールやランボーやダンテのように、猥雑な現実を神話的次元で昇華し、永遠の一瞬を釘付けできないものかと模索していた。
 そうして詩を書き、一冊の詩集にまとめた。『仙人掌』(ユリイカ)だった。ここに「サボテン」という詩が登場する。「まひるの街のうえで、入道雲がふいにわらいだした」と始まる。崩壊して砂漠となった街で、昼には雲が湧き、夕暮れになるとサボテンが紫色の花を咲かせる…。
 仙人掌は「さぼてん」とも「せんにんしょう」とも読む。仙人掌は漢代の銅盤の銘で、天から降る甘露を受け止めるべく仙人が手をささげている姿だ。仙人掌は文学者・栗田勇の生涯を暗示する言葉となった。
 その後ロートレアモンの作品を翻訳したが、この作業中、原文が物語るような悪霊に襲われる体験をしたという。
 かつて『世界日報』に「比叡は萌える」を連載中、筆者はその担当者だったので話を聞く機会が多くあった。
 東大の渡辺一夫教授のゼミの光景も語ってくれた。ボードレールの詩をテキストに、その中の重要な単語を学生たちに割り振り、それが過去の各時代、どのように使われてきたかを調べさせ発表させるというもの。
 その経験から学んだのは、中世の信仰の歴史がボードレールの詩語に刻まれていたという事実だ。その後、エジプトやイラクをはじめとする古代文明の遺跡を歴訪し、日本各地の古い聖地を巡礼しつつ、永遠の一瞬を釘付けにしうる文学的素材に出会う。それが日本の仏教史を彩った偉人たちの生涯と言葉だった。
 栗田は神道の信仰者だった。それゆえにボードレールの詩の中に中世の人々の信仰を垣間見、仏教を継承した先人たちの中に、言語化を拒絶する絶対的な存在者との交流のありさまを感じ取ったのだった。
 「仏(ふつ)文学から仏(ぶつ)文学に移りました」と友人たちに語ることがあった。これがそのいきさつだった。
 日本の年中行事や、書、茶、和歌、建築、絵画、草花も、作品を彩るものとなった。「比叡は萌える」は伝教大師最澄を主人公にした小説で、いっしょに取材で中国の天台山や五台山など聖なる山々を巡り歩いた。
 泰山では岩壁の至る所に文字が刻まれていたのを目にした。そして栗田は悟るのだ。
 「中国では文字は、甲骨文字とか金石文字として、石骨に刻むことから始まった。その意はたんなる記号ではなく、人と天とをつなぐ運命を担い明かすものとして、文字は生まれたのではないか。天真に向かって書を刻するとき、人は人間以上のものと交流を期待していたのである」(「書と出会う」『日本の心を旅する』春秋社)。それは「神霊を帯びた呪符」になったと語る。
 文学者としての仕事は一遍、道元、利休、良寛、最澄と続き、最後は芭蕉で締めくくられる。
 『芭蕉』(上下、祥伝社)は芭蕉の詩語を核にして造化の神秘を探ろうとした思索の書。自身の精神的遍歴と重ね合わせて西洋思想と東洋思想との両面から捉えた。