民族の信仰は三つ子の魂から

連載・信仰者の肖像(11)
増子耕一

梶村 昇(1925〜)

 

梶村 昇

 梶村昇さんは大正大学で仏教学を学んだ後、1957年から3年間米国に留学した。ニューヨークのユニオン神学大学で学んだのだが、よく日本人の商社マンから質問されたという。「仏教とは何ですか」と。
 彼らは仕事先の相手から宗教について問われ、自信なく「仏教」と答えるが、「何を教えるのですか」と問われると、分からずお手上げになる。宗教教育を受ける機会がなかったからだ。
 日本は宗教に関して奇妙な状況にある、と気づいた体験だった。この体験から後に『日本人の信仰』(中公新書、1988年)という本を書くことになった。日本人の宗教を統計的に見ると神道系、キリスト教系、その他宗教団体の信徒の数は、人口の2倍近い数。国民が複数の宗教に関わっているからだ。
 この本で梶村さんが問題にしたのは日本人の神観念だった。その頃、亜細亜大学で研究していたのはアジアの宗教。スリランカ、タイ、ビルマ、中国、韓国などで、その実態を調べてきた。
 この本についてインタビューしたとき、こう語ってくれた。「仏教は世界宗教だから世界的な広がりを持ちます。民族によって受け入れ方がみんな違う。お釈迦様が十語ったことの中から中国人はこの五つをとり、日本人は別の五つをとる。同じお釈迦様の語ったことだと言いながら、民族によりその受け取り方が違うのです」
 その受け取り方を梶村さんは「民族の三つ子の魂」と呼んだ。この考えはドイツの心理学者ウィルヘルム・ヴントの民族心理学を基礎にしたものだった。
 この本は日本仏教史について語っているが、日本人の三つ子の魂が仏教と出会い、それがいかに日本的に変容してきたことを描き出したもの。
 その三つ子の魂を探り出したのは古事記からで、本居宣長の研究が手掛かりになった。
 日本人にとっての神とは、「尋常(ヨノツネ)ならずすぐれた徳(コト)のありて、可畏(カシコ)き物」。すぐれたものとは貴いこと、善いこと、雄々しいこと。さらに悪いことやいぶかしい点でもすぐれて可畏きものであればよいとした。
 仏教を日本的に変容させた最初の人物は聖徳太子だった。仏教の中から「すべてのものが救われる」という教えを採択し、摂取した。
 聖徳太子の教えを継承したのは比叡山を開いた最澄で、最澄の教えはやがて仏教界の主流を占めるようになる。そして日本人の神観念が深化するのは鎌倉仏教の法然によってだったという。日本的霊性なるものの目覚めである。
 「平安末期から鎌倉時代にかけて、日本の宗教界を揺り動かした中心人物は法然であった」と梶村さんは同著で記す。鎌倉時代は法然を軸に回転し、浄土宗、禅宗、日蓮宗、時宗など起こった時代。「今日のわれわれを取り巻く仏教界は、鎌倉時代のそれの延長線上から一歩も出ていない」と結論する。
 梶村さんは浄土宗の僧侶で、その頃、世界日報に掲載された栗田勇さんの連載小説「比叡は萌える」に注目し、愛読していた。主人公最澄の歴史上の位置づけは梶村さんも栗田さんも共通していて、「文章を書くことは修業なのです」と感想を語っていた。


(2025年11月10日付 829号)