朝鮮仏教史の全体像を提示

連載・信仰者の肖像(9)
増子耕一

鎌田茂雄(1927〜2001)

 

鎌田茂雄

 中国仏教史を専門とする鎌田茂雄が、韓国仏教に興味を抱き、各地の寺院を探訪するようになったのは1970年代の初めだった。
 仏教は5世紀から8世紀にかけて中国から東アジア全体に伝播したが、鎌田は伝えられた諸地域にも関心を抱いた。その空間の中で朝鮮仏教を位置付ける必要があると考えた。
 言葉も不自由な一人旅だったが、食事には抵抗がなく、韓国各地の寺院を訪ねた。どの寺院も深山の清らかな地にあり、松柏が生い茂り、渓流が岩石の上を走り、四季折々のたたずまいに魅了された。
 チマ・チョゴリの婦人たちが仏殿で礼拝していた。それぞれの古刹には昔の高僧たちの事績が名残りを留めていた。
 10年がたってみると、有名な寺院のほとんどを踏査し、伽耶山海印寺や、俗離山法住寺や、智異山華厳寺など、何度も足を運んでいた。寺院に宿泊して、朝課や儀礼の数々も経験した。そうしているうちに、韓国には中国とも日本とも違った、独自の仏教文化が存在していることを実感した。
 それらの体験と研究をまとめたのが著書『朝鮮仏教の寺と歴史』(大法輪閣、1980年)であり、『朝鮮仏教史』(東京大学出版会、1987年)だった。全体像を示した本格的な朝鮮仏教史は日本で初めて。
 寺院の建物は日本とも中国とも違っていた。装飾の色彩は丹青で、赤と青が基調。境内には山神閣や七星閣があり、これも韓国独自のもので、仏教の守護神。山神や七星は天を祀ってきた韓民族の太古からの信仰を伝えていた。
 鎌田は1927年、神奈川県鎌倉市の生まれ。陸軍幼年学校と陸軍士官学校を経て駒澤大学予科で学んだ。その間、円覚寺で参禅。駒澤大学文学部仏教学科から東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程に進んだ。華厳学が専門で、道号は梅嶺。僧名は慧忍。
 禅の実践者であり、三国の違いをこう指摘する。
 中国の禅は広漠な大陸を舞台に大地性を獲得した生活の仏教。「平常心是道」というように、生活の根底に仏の命を見ようとしたという。
 日本の禅は教禅一致を否定し、純粋禅を主唱。道元も、白隠もそうで、只管打坐の禅に生きた。二つのものを合わせることはなかったという。
 韓国の禅は新羅時代から総合仏教の立場をとってきた。初期の統一新羅で活躍した元暁には和諍思想があり、華厳、唯識、三論を総合した。この総合した立場が韓国仏教の一貫した流れになっていったという。
 日本で教禅一致を韓国から受け継いだのは高山寺の明恵上人だった。明恵は「華厳絵巻祖師絵伝」を制作し、元暁と、もう一人の祖師、義湘の生涯を描いた。寺院を訪ねる旅での圧巻は、慶尚北道にある太白山浮石寺だ。ここは義湘が祀られた寺院だった。
 鎌田は韓国の仏教史をたどってみて、中国仏教学の発展の上でも、また日本仏教史の上でも、新羅出身の僧侶たちの目覚ましい活躍ぶりを知るようになる。
 少年時代には軍人教育を受け、青年期には禅を学び、中年になると新たに合気道を始めた。取材の日、大学での仕事を終えると「道場で汗を流します」と語っていた。武人の趣のあった学者だ。


(2025年9月10日付 827号)