今年の「世の中」は八分
師岡熊野神社で御筒粥神事/神奈川県横浜市

1月14日に横浜市港北区の師岡熊野神社(石川正人宮司)で第1077回「御筒粥神事」が行われた。天暦3年(949)より始まり今日まで1077年続いている「筒粥の神事」は横浜市の無形文化財に指定されている。今年も神事が一般の参拝客に開放され、多くの人々が集まる中で行われた。神事の後には参拝客に無病息災の御利益があるお粥が振る舞われた。神様の御神威が入ったこのお粥を食べると、その年は風邪を引かないと言い伝えられている。
筒粥は粥を用いてその年の吉凶を占う年占(としうら)で、神社としてはこれを神事として行うことから「御筒粥神事」と呼ばれている。葭を用いるのは、この植物が「よし」とも「あし」とも呼ばれ、物事の「良・悪」の両方に通じることから農作物の「吉・凶」を決める占いである筒粥の筒に最も相応しいと考えられたからである。筒は27本あり、農作物23種のほかに農作物の出来を左右する日・雨・風と世の中まで占う。
午後2時、空が雲一つなく晴れ渡る中、太鼓の音の後に笛が続き、神事の始まりを告げた。本殿・拝殿の横の庭に地域の代表者と一般の参列者が集まった。手水の儀を終えた宮司と祭員が参進し、修祓の儀が行われ、続いて宮司一拝、献饌の儀が執り行われた。宮司が大祓詞を奏上し、続いて祝詞を奏上。宮司が玉串を奉って拝礼し、総代会会長、町内会代表、いざなみの会会長ら奉賛団体の代表、福地茂市会議員が続いて玉串を奉奠した。次に撤饌の儀、宮司が一拝した。最後に宮司が九の字を切り、葭を引き上げた。
拝殿に移り殿内で宮司と総代の審議により、年占いが開始され、項目四つずつ占いの結果が発表されていった。「大麦、七分。小麦、半分。わせ、八分。中て、十分」と発表され、その都度、紙に記録された。最後には「世の中」が「八分」と発表された。
最後に石川宮司が以下のように挨拶した。
「日が七分でまあまあだと思ったら雨と風が半分だった。台風は心配なので、これが多くないのはいいのだが、日照りにならないことを祈るばかりだ。
世の中八分ということで、これについてはいい結果が出た。まさに神様の思し召しである。
一昨年は1300年という節目の年を迎えて、せせらぎの水が昨年12月6日に竣工し、現在『い』の池にそそいでいる。『い』の池の水質の改善に大きな貢献をしてくれるだろう。
もう一つの事業では、車椅子のまま社殿に上がれる昇降機が作られている。皆さんにとって、そしてこの地域にとって、素晴らしい令和8年になることを心から祈る」。
ルーマニアから来たという女性は「初めて参加したが、厳粛な神事で感動した。日本の素晴らしい伝統だ」と感想を述べた。また、近くに住む男性は、「今回は二回目の参加だが、最後の世の中が八分で本当によかったと思う。また参加したい」と語り、家族連れで参加した女性は「子供の名前に御神木の『梛』の字があるので、親近感を感じる。その葉っぱを使って作られたおかゆを食べさせていただき、とても有難い」と話していた。
師岡熊野神社は、聖武天皇神亀元甲子年(724)に全寿仙人によって開かれた。熊野山の中腹に鎮座し、和歌山県熊野三社(本宮・那智・速玉)の祭神と一体である。
仁和元年(885)七月には、光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房が此地に下向し、「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜った。それ以来、宇多・醍醐・朱雀・村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。
観応二年(1351)六月十七日、雷火のため社殿は焼失したが、御神体・社宝は無事であり、特に貞治三年(1364)の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝えている。


