新成人、伝統の「通し矢」

京都 三十三間堂で大的全国大会

的に狙いを定める晴れ着の新成人=1月18日、京都市東山区の三十三間堂で


 1月18日早朝、京都市東山区の三十三間堂(妙法院蓮華王院門跡本堂、杉谷義純門跡門主)で、成人式にちなむ恒例の「通し矢」が、妙法院と京都府弓道連盟の共催による第76回「三十三間堂大的(おおまと)全国大会」として、男女約1900人が参加して開催された。三十三間堂では江戸時代、武士が南北に長い堂内の軒下を、端から端まで射通す矢の数を競った「通し矢」が行われていた。

  試技に先立って大会名誉会長の杉谷門跡門主は、伝統の大的全国大会が今年で76回を数えたことを喜び、若い人たちが精進を重ねてこの矢場に立てるようになったことを祝し、感謝の想いで臨んで欲しいと挨拶した。そして大会の無事を願って杉谷門跡門主以下僧侶によって加持が厳修され、矢渡(やわたし)の儀が、京都府弓道連盟の千田寿男会長によって執り行われた。
 試技が始まると振り袖、袴姿の新成人たち8人ずつが、南北に長い三十三間堂に平行して設けられた矢場の畳に上り、横一列に並んだ。矢をつがえて的を見据え息を整え、右手を振りかぶって静かに弓弦を引き絞った。的を見定めた後、矢の先を
わずかに上げて的の少し上に狙いを定めて射ると、矢は底冷の京都の冷気を裂いて次々に的に向かった。その距離60メートル、緩い放物線を描いて矢が直系1メートルの的に刺さると、「トンッ」という音が矢場に響いた。射手は、皆の幸せと自分の願いとを込めながら射るのが良いとされている。
 参加した晴れ着の新成人(女性)は、「大人となって恥ずかしくない生き方をしたいと思って、弓を引きました」と、清々しく語った。
 三十三間堂は天台宗の寺院で、本尊は千手観音。堂内の内陣にある柱間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれている。もともとは後白河上皇が自身の離宮内に創建しようとしたが、平清盛が協力を申し出て寄進した。その後、大火で焼失したが、後嵯峨上皇が文永3年(1266)、三十三間堂を再建した。
 本堂の内部は板敷で、内陣には本尊の千手観音坐像(鎌倉時代の仏師湛慶作)が安置され、左右に10段の階段状の長大な仏壇が設けられ、千手観音立像500躯ずつ計1000躯が左右に安置されていて、他に本尊の背後にもう1躯あって、合計で1001躯となる。2017年(平成29年)、45年にわたった千手観音立像全ての修復が完了した。本尊の千手観音坐像をはじめとして千体の千手観音立像など堂内の諸仏すべてが国宝である。
 三十三間堂の通し矢はもともとは、長さ約121メートルある本堂西側の軒下で、矢を南から北に射通す弓術の競技だった。平安後期の保元年間(1156〜59年)に始まり、江戸時代には、武士が軒下で夜通し矢を射て通すことができた数を競った。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらないように矢を射抜いて、その本数を競った。一昼夜での通し矢数を競う「大矢数」の記録達成者は「天下一」と称されたため、各藩の弓術家が腕を競い、京の名物行事だった。
 現在では、新成人女性の多くが振袖袴姿で行射する。なお、60メートルは弓道競技の「遠的」の射程であり軒高による制限がないため、江戸時代の通し矢の風景と全てが同じではないが、今でも
この「通し矢」は、弓道を志す若者のあこがれであることに変わりは無い。