「ブッダの教えで生きよう」

称讃寺報恩講で佐々木閑氏が講演/高松市

ユーモアを交え語る佐々木閑氏=12月12日、高松市の称讃寺


 香川県高松市にある浄土真宗本願寺派の称讃寺(瑞田信弘住職)で12月12日、宗祖親鸞聖人に感謝する報恩講法要があり、仏教学者で花園大学教授の佐々木閑(しずか)氏が「人生後半そろそろ仏教にふれよう」と題し講演した。真宗高田派の僧侶でもある佐々木氏は、京都大学工学部工業化学科を卒業後、同大文学部哲学科に入学したので、「お寺から出家しました」と語り笑わせた。
 真宗高田派は、佐渡での流罪を許された親鸞が布教した関東での門弟真仏、顕智が率いる下野国高田(現在の栃木県真岡市高田)の専修寺の流れを汲む真宗諸派の中では古い教団。その後、衰退したのを江戸時代に津藩主藤堂高次(豊臣秀長の家臣だった高虎の子)が保護し、津に本山を移した。専修寺は現存する親鸞の真筆文書の4割強を収蔵し、これは東西本願寺より多い。90歳で梅原猛が著した『親鸞「四つの謎」を解く』(新潮文庫)は、学会では異端の書とされる専修寺所蔵の親鸞の伝記「親鸞聖人正明伝」に依っている。
 佐々木氏の演題は古舘伊知郎氏との対談本のタイトルの借用で、大乗仏教とは異なるブッダの教え(原始仏教)から生き方を見直そうという内容。
 「浄土宗は阿弥陀仏にお願いすれば救われるという教え。でも、阿弥陀仏はインド人だからインド語でないと通じませんよ」と言って、それが「南無阿弥陀仏」だと解説。「ナム」は「ナマステ」と同じ挨拶語で、「アミダ」は「アミターバ(アミターユス)」が阿弥陀仏(無量寿光)のこと、と分かりやすい話に聴衆は引き込まれていた。浄土宗・浄土真宗は阿弥陀仏にすべて任せる絶対他力だが、ブッダは瞑想により悟りに至ろうとした。「道は違うが、行先は同じです」と佐々木氏。
 ブッダは人生は苦であるとし、その原因を欲望=自我に求め、我をなくせば苦から逃れられるとした。それは、苦しんでいる人への教えで、幸福だと思っている人には関係ない。ごく一部の人のために説いたのがブッダの教えだという。自我をなくすと自分という実体はなくなり、欲望も湧かない。それが「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の世界である。生も死もない「生死一如(しょうじいちにょ)」なので、死も怖くない。
 佐々木氏が卒論のテーマに選んだのは、ブッダの弟子たちが共同生活をした場「サンガ」で、そこでの決まり事をまとめた「律蔵」を研究した。「組織は個人を入れておく器として存在するだけですから、集団をまとめるリーダーを設定しません。だからつまらない身内意識も、メンバー間の権力的な上下関係もない。全体が横並びにつながっているだけのネットワーク方式です」。つまり、組織の維持・発展よりも個人の成長が主体で、今のデジタル社会こそ、それが成立しやすいという。個人と組織の在り方から考えさせられることが多い。
 釈迦仏教と大乗仏教は真逆の仏教のように見えるが、その二つを行き来することで、自分や社会を客観的に見ることができると佐々木氏は言う。そして、欲望の充足ではなく自分の成長を生きがいとするような生き方への転換を勧めた。
 法要と講演は午前にもあり、参加者は弁当とうどんの接待を受け、午後の法要と講演の後はお菓子と抹茶の接待があった。称讃寺の門徒以外の人も多く、地域の学びの場、文化センターとして存在感を高めている。