「宗教の社会貢献」と「宗派を超えた連携」
2025年12月10日付 830号
師走を迎えた。
1年を振り返ると、小紙では今年、宗教の社会貢献、現代社会の課題解決のために宗教は何ができるのかをテーマの一つとして考えてきた。
具体的には、例えば地域の子供たちに命のつながりや自然万物の恵みを伝える神社の実践から、次世代の育成と鎮守の杜の保護について取り上げた(小紙7月号)。また、教会など宗教施設が地域社会の安心、安定につながることにも度々言及した。
宗教は社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)とも言われる。しかし、ここ数年、宗教の社会貢献が国民に認識されにくい状況にあるとも指摘されている。
例えば、公益財団法人庭野平和財団が9月に公表した「宗教団体の社会貢献活動に関する調査」によると、宗教団体が学校教育や病院運営に関わっていることを「知らない」「わからない」と答えた人が7割に達したという(朝日新聞9月30日付)。学校や病院は比較的目に触れやすいものであるから、他の活動ではさらに見えにくくなっていると思われる。
同財団の別の調査「日本人の宗教団体への関与・認知・評価の20年」の分析(2019年)では、一時は宗教団体の社会的影響力は高まり、「地域社会の交流や安定に貢献している」、「災害時の救援やボランティア活動など社会的に貢献している」といった国民の評価もあった。近年、災害ボランティアへの認識は高まっているが、全体的には宗教の社会貢献への認識が低下していると見られる。
もちろん、身近なボランティア活動などでは必ずしも自身の立場を明らかにするわけではないが、宗教側からの何らかの発信も必要であろう。一方で、認識低下の要因として、宗教者の顔が見えにくくなっている社会状況はないか。
日本に30年以上滞在するウクライナ系米国人の正教会司祭ポール・コロルーク氏は「日本は国民が宗教を信仰できるようにするというより、法律も含めて宗教から、国、国民を遠ざけようとしていると、外国人の私からは見える」と指摘する(11月号)。
また、宗教者の社会貢献の基礎になっているのは信仰であり、さらに言えば利他の精神だ。人間は本質的には精神的・道徳的存在である。こうした社会貢献の背景にある宗教的価値を国民がどのように受け止めているか、身近に感じているかも重要であろう。
また、宗教団体と宗教者の社会貢献活動には、「活動の実質的な担い手としての機能に加えて、思いやりの精神を育てる公共的な場を提供する機能をも併せ持っていよう。無自覚の宗教性は、宗教者の利他的な実践によって、社会にさらに広く浸透する可能性もあろう」(稲場圭信・大阪大学教授『利他主義と宗教』弘文堂)との評価もある。次世代を育て、道徳的な面で地域共同体を形成するのも宗教者の大きな貢献になるはずである。
もう一つ、今年改めて注目したのは、国内外での宗教宗派を超えた協力である。
例えば、8月に南アフリカ・ケープタウンで開催されたG20諸宗教フォーラムは宗教家、政治家、各分野の専門家が集い、国際的な課題への対応、人類全体に関わる諸問題について提言などを行っているもので、前身のG8宗教者サミットは2005年から開催されている。テーマは、経済や環境、女性、家族、子供、人道支援、健康、教育、宗教または信仰の自由、世界の安全保障など、宗教関連に限らず現在の世界が共有する課題が取り上げられている(9月号)。
また、8月に滋賀県で開催された「世界平和祈りの集い」は、仏教や神道、キリスト教、イスラム教、新宗教など諸宗教の代表者が参集した。1986年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の提唱で行われた「平和祈願の日」をきっかけに毎年開催されている(8月号)。
こうした活動は各々歴史を積み重ねているが、諸宗教の協力、和合、連携は今後さらに重要になってくるのではないか。


