日本人はなぜ山に登るのか

連載・山岳信仰の跡を辿る─還暦からの山旅─(1)
横田 翠

那須連山・朝日岳を望む

 還暦から可憐な高山植物に魅了され、健康登山を始めた。山は知れば知るほど、山という大自然が持つ超越的な力によって生かされていることを実感する。
 日本は国土の四分の三を山岳地帯で占められている。急峻な地形は繰り返し自然災害をもたらし、それが山を信仰の対象とする日本独特の宗教文化を育んできた。
 日本の登山の始まりは古く、縄文時代に遡る。八ヶ岳連峰の編笠山や蓼科山では標高2200㍍〜2400㍍地点で黒曜石の矢尻が発見されたほか、八ヶ岳山麓には尖石遺跡や井戸尻遺跡など縄文時代の遺跡が発見されている。
 縄文人はなぜ、山に登ろうとしたのか。自然地理学を専門とする小泉武栄は著書『登山と日本人』で、「当時の彼らの生活の余裕を示すものであり、旺盛な好奇心の発露でもあった」と書いている。
 万葉集には「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」(山部赤人)など、山を詠んだ歌が数多く収められている。山に対する崇拝の念とともに慕わしさが表れている。
 稲作が始まった弥生以降、巨石や巨木、山そのものを御神体とする山岳信仰が形づくられ、やがて外来の仏教と融合し、神仏習合の宗教文化が形成されていく。全国各地の名山には鳳凰山、地蔵岳、大日岳、釈迦が岳、一切経山等々、仏教に由来する山が数多くある。
 一方、ヨーロッパの登山の始まりは200年程前とされ、その歴史は浅い。キリスト教の支配した中世ヨーロッパでは山を「魔女や悪魔の棲家」のように考えられていたからだ。
 アメリカの観念史家・英文学者のM・H・ニコルソンは著書『暗い山と栄光の山』で「自然の恥と病」、「疣、瘤、火ぶくれ、腫れもの」と表している。
 キリスト教の欧米社会と違って、日本人にとって山は敵対し征服する対象ではない。死者の霊魂が棲む、死者と生者が交流する場と考えられてきた。
 「ありがとう寺」住職の町田宗鳳は著書『山の霊力』で「日本人の胎内の奥深くに埋め込まれた『根源的記憶』」であり「山の存在そのものが祈りなら、そこに登ろうとする行為も、祈りであらなくてはならない」と書いている。

山梨県金峰山の五丈岩は金櫻神社の御神体


 近年、墓じまいが進み、地域の寺社仏閣が消え、宗教離れが進んでいる。一方、老若男女、山や自然との触れ合いを求める人が増えている。なぜ、山に登るのか。それは日本人の「根源的記憶」を呼び覚ます力が山にあるからではないだろうか。
 先人が歩いた山岳信仰の足跡を辿りながら、日本人と山との関係性、向き合い方を見つめ直してみたい。

(2026年9月10日付 839号)